今回の配達先はアメリカ・ロサンゼルス。この街でジュエリーデザイナーとして活躍する小笠原浩さん(46)と、兵庫県に住む父・敏容さん(76)、母・公美さん(74)をつなぐ。21歳の時に網膜剥離で右目を失明。左目もほとんど見えない浩さんが、妻子と共にアメリカへ渡ったのは2年前。両親は「奥さんが支えてくれているので安心はしている。でも、暮らしは大変なのではないか…」と案じている。
ロサンゼルス・パサデナの自宅兼工房に、妻の千草さん(36)、長男の杜一くん(5)と暮らす浩さん。彼が手掛けるのは、日常では使われることがなくなったアンティークスプーンを加工して作るバングルやリングなどのシルバージュエリー。当時の技術で施された美しい装飾やデザインを生かし、新たなジュエリーへと生まれ変わらせるのだ。
スプーンに触れる指先の感触だけを頼りに、イメージを膨らませていく浩さん。そうして頭に思い描いたデザインを、千草さんが絵に起こす。口で伝える事しかできないイメージを汲み取れるのは、息の合った夫婦だからこそ。このデザイン画とスプーンを日本の加工業者に託し、作品を完成させるのだ。
目が見えないからこそ、誰にも作ることのできない唯一無二のデザインを生み出し続ける浩さん。作品が出来上がったときは毎回興奮するという。「完成したものを自分で見ることはできないが、妻が “良いよ”と言ってくれて、一緒に喜び合える感動は大きい。妻の助けがなかったら出来ないこと」と浩さんはいう。
しかし、光を失った当時は、目が見えない自分を受け入れられなかったという。そんな絶望の中、浩さんを心配した友人がアメリカ旅行に誘ってくれた。そこで浩さんは、車イスの人がカフェでワインを飲みながら本を読んでいる光景を目にする。「すごく衝撃でした。障害を持ったら障害者らしく生きないといけないと思っていた。でも自分らしくていいんだと」。日本に戻った浩さんは、昔からアメリカ文化が好きだったこともあり、すぐにアメリカのスプーンを使ったジュエリーブランドを立ち上げた。そんな作品の数々はロスのセレクトショップに並べられ、セレブたちも注目。今や、アメリカの伝説的ロックバンド「グレイトフルデッド」のオフィシャルジュエリーを任されるまでになった。
ジュエリー作りでも日常生活でも二人三脚の浩さんと千草さん。そんな2人の出会いは、浩さんが自分のジュエリーを出品した展示会。たまたま隣のブースに出品していたのが、当時革職人をしていた千草さんだった。千草さんは純粋で前向きな浩さんに強く惹かれ、2人は結婚。やがて杜一くんが誕生した。だが、愛する妻と子の顔を見ることもできない浩さんは、アメリカで角膜移植の手術を受けることを決意。手術は成功し、2年間ほどは視力が戻ったという。その時に目にした2人の姿は、今もはっきりと脳裏に焼き付いている。
そんな浩さんに日本の両親から届けられたのは、彼が小学生の時に母にプレゼントしたブレスレット。母からの手紙には「つらいことがあった時は、これを見て浩の優しさを思い出して頑張ってきた。このブレスレットが私たちを守ってくれたように、きっと浩たちを守ってくれると思う」と綴られていた。浩さんは「長い間そういう思いでこれを持っていてくれたとは…」と感極まり、両親がこれまで自分にしてくれたことを思い、涙で感謝するのだった。