今回の配達先は芸術の都・イタリアのフィレンツェ。和紙画作家として奮闘する横山明子さん(41)と、高知県に住む父・恒友さん(76)、母・陽子さん(71)をつなぐ。故郷高知の和紙を使って、これまで誰も作ったことがない芸術作品を生み出している明子さん。母は「イタリアで作品がどういう風に受け入れられているのか見てみたい」と興味津々だが、父は「日本に帰って来てほしい」といい、寂しそうだ。
「和紙のちぎり絵」の技法で、立体感のある独特な作品を作り続けている明子さん。作品を制作するのは、夫のミロさん(37)と暮らす自宅のリビングだ。絵具代わりに使うのは、世界一薄いと言われる故郷高知の和紙「土佐典具帖紙」。色とりどりの和紙を細かくちぎり、それを下絵に沿って筆で糊付けしながら、すべての線、グラデーションなど、あらゆる表現を和紙だけで描いていく。さらに、2枚の絵を張り合わせることで、逆光を当てた時に別の絵が浮かび上がるのも大きな特徴。彼女だけの唯一無二の「ワシアルテ(和紙のアート)」だ。
元々ルネサンス美術が好きで、日本の大学を卒業後、イタリアに渡った明子さん。美術学校で美術史を学びながら、自分にしか作れないオリジナルのアートを模索している中で、この技法を編み出した。以来16年間、この技法にこだわり、育て続けてきたが、イタリア人には和紙が十分理解されていないこともあって、なかなかその魅力が伝わらず、いまだに収入は不安定。しかし、彼女はどんなに生活が苦しい時でも、決して売れる絵を描こうとはしなかった。16年間、自分の作品を信じ、観光ガイドなどの仕事を掛け持ちしながら、頑なに作風を変えずにやってきた。そんな彼女の作品に一目ぼれしたという夫のミロさんは、「絶対に君はこれを続けるべきだ」と言って、明子さんの創作活動をさまざまな形でサポート。ミロさんの家族もみんな、彼女の成功を願って応援してくれている。
そんな明子さんの作品作りの原点は、育った環境にあるという。母が実家の看板屋で働いていたため、幼いころからその仕事場へ遊びに行っては、絵を描いたり、文字を書いて遊んでいたという。「いつもモノを作る人たちのそばにいた。それが今の自分につながっている」と明子さんはいう。
父は日本に帰って来てほしいと願っているが、明子さんは「日本に戻るつもりはないですね」ときっぱり。「大きなインスピレーションを受けるのは、やはりフィレンツェだから。この街以外は考えられない。お墓もここで、と思っている」と決意を明かす。
芸術の街・フィレンツェだからこそ、そして日本人の自分だからこそ生み出せた唯一無二の「ワシアルテ」に人生をかける明子さん。日本の両親から届けられたのは、“和紙あるて Washi-Arte”の文字が記された看板。遠く離れた異国の地で自分の道を突き進む娘へ、両親からのエールが込められていた。明子さんは「これからもどんどん頑張りなさいということだと思う。イタリアの家族も、日本の家族も、こんなに応援してくれて…。今まで頑張ってきてよかった」といい、支えてくれている人たちに感謝するのだった。