19世紀に時計産業のために開発され、現在も世界的な時計メーカーが集まるスイスの田舎町ル・ロックル。ここに工房を構えて時計の修理を手掛けている“時計師”の関口陽介さん(36)と、群馬県に住む母・玲子さん(65)、妹・恵理さん(32)をつなぐ。父の猛反対にあい、一度は時計師の夢を諦めかけたが、思いを貫いた陽介さん。父はすでに亡くなったが、母は「主人は時計師で食べていけるのかとても心配していた。でも、時計師として成功してほしいと一番願っていたのも主人です」と語る。
陽介さんはスイスをはじめ世界中のアンティーク時計の販売と修理を行う専門店「ジュバル」のお抱え時計師。扱うのは、電池を使わずにゼンマイや振り子、おもりで動く、いわゆる「機械式」と呼ばれる時計だ。まずは預かった時計をすべて分解し、顕微鏡をのぞきながら手作業で小さな部品一つ一つの汚れを落し洗浄。壊れてしまった部品は陽介さん自ら金属を一から削り出して作り直し、最後に再びそれらの部品を組み上げていく。その手にかかると、壊れて長く時を止めていた250年も前の懐中時計が息を吹き返し、再び正確な時を刻み始める。妥協を許さないその繊細な仕事ぶりに、今や世界中から名指しで修理の依頼が殺到しているという。
陽介さんが時計に魅了されたのは高校生の時。友人にもらった古い時計を分解したのがきっかけだった。「歯車がかみ合った時計の部品を初めて見て、その美しさに衝撃を受けた」。以来、骨董市で壊れた時計を買ってきては分解し、再び組み上げて動かすことに夢中になった。大学卒業後の進路は時計師を希望したが、銀行員だった父は猛反対。父に言われるままに銀行の面接を受けたが、やはり夢を諦めきれず、反対を押し切って日本を飛び出したのだ。
陽介さんは独学で時計を学び、4年後、念願の時計師に。それを機に、遠距離恋愛を続けていた妻の清美さん(36)と結婚。2人の子供にも恵まれたが、父は孫の顔を見ることなく亡くなってしまった。陽介さんは「父は“家族を養えるのか”ととても心配していた。その心配を一番解消させてあげたかったが、子供たちを見せることができず、それが一番の心残り」と惜しむ。
実は、陽介さんは昨年10月までの5年間、世界的に有名な高級時計メーカー「クリストフ・クラーレ」に勤め、ひとつ数千万円もする時計のパイロット版の製造や、商品の組み上げなどを任されていた。そんな世界的メーカーを辞めてアンティーク時計に携わるようになったのは、いつか自分の手で後世に残るオリジナルの時計を作りたいという熱い思いから。「僕が古い時計を見て昔の職人の仕事の繊細さや美しさに圧倒されるのと同じように、“こんなに頑張って作ったのか”とのちの人に思ってもらえるような時計を作りたい」と夢を語る。
そんな陽介さんに日本の母から届けられたのは、彼が小学5年生の時に書いた作文。当時陽介さんの目に映った、家族を養い守るために身を削って働く父の姿が綴られたもので、“そんな姿を見てきたからこそ、今のあなたの頑張りがある”という母の思いが込められていた。陽介さんは「父が一生懸命仕事をしてきたのは家族のため。僕にも“そうできるように育ってほしい”と望んでいたと思う。今こうして家族と生活できていることを、父に感謝したい」と、しみじみ語るのだった。