今回の配達先はフランス。ドイツとの国境の街・ストラスブールで、オーケストラ奏者を指導する伴奏ピアニスト「コレペティトール」として活躍するペルオー直子さん(39)と、神戸市に住む父・武文さん(72)、母・ひとみさん(63)をつなぐ。わずか14歳で単身海を渡った直子さん。母は「娘は仕事の話を一切してくれない」、父も「僕とは距離を置きたいという思いがあるようだ」と言い、寂しそうだ。
直子さんは週に一度、車と鉄道を乗り継いで国境を越え、5時間かけてスイスのジュネーブにある職場、ジュネーブ音楽大学に通っている。およそ180年の伝統を持つ名門校で、世界中から集まる学生の多くがプロの演奏家を目指している。
直子さんはホルン学科に在籍する15名のレッスンを担当。学生たちが演奏するのはオーケストラの曲で、直子さんは、ホルン以外のさまざまな楽器のパートをピアノ一台で表現し、伴奏する。ホルンの楽譜には自分のパートしか書かれていないため、曲の全体像が分かりにくい。直子さんは楽譜に込められた作曲家の意図をくみ取り、よりよい表現方法を学生たちにアドバイスしているのだ。
教え子がプロになってからも伴奏を依頼されることがある。フランスを拠点にヨーロッパ各地で活動する人気演奏家のベルトレ姉妹も、そんなかつての教え子だ。クラシックながらアルバムを8万枚も売り上げた彼女たち。「直子はすぐに楽曲を理解してくれ、的確に応えてくれる」といい、直子さんへの信頼は厚い。
3歳の時、母に勧められてピアノを始めたものの、父が望んだのは娘を囲碁の棋士にすることだった。「毎晩練習させられて本当に嫌だった。父にはずっと反発していた。そういうのもあって早く家を出たかった」と直子さんは振り返る。
そんな思いから、14歳で単身フランスの中学へ留学。当初、なかなか友達ができなかったが、地元のピアノ学校に通い始めたところ、人生を決定づける出会いが…。「その時の先生が、他人と共演する楽しさを教えてくれて。ソロのピアニストって意外と孤独なんです。でも私は独りにはなりたくなかった。仲間が欲しいという思いが強かった」。直子さんは仲間と共に音楽を作り上げることのできるコレペティトールとして生きていくことを決めたのだ。
しかし、日本の家族には仕事の話をほとんどしない。ずっと反発し、すれ違ってきた父に対しては「言ってもピンと来てないみたいだし…。電話に出ても父はあまりしゃべらないんです。打っても返ってこないから…」と諦め顔だ。
そんな直子さんには今、気にかけている男子生徒がいる。4年生の彼はプロを目指し、さまざまなオーケストラのオーディションを受け続けているが、いまだ合格できずにいる。直子さんは、繊細で伸び悩む彼を何とかして育てたいと、熱心に教えてはいるのだが、なかなか思うようにいかないようで…。
現在は地元ストラスブール交響楽団のホルン奏者である夫のジャンマルクさん(44)、11歳の長男、4歳の長女と暮らす直子さん。コレペティトールとして、母として、人を育てることに大きな喜びを感じている彼女に、父から届けられたのは、幼い頃に家族みんなで遊んだ百人一首。娘との思い出と共に、父が大切に残していたものだ。添えられた手紙には「これを手に取ると、昔のことを思い出し、懐かしく思ってくれるかな?」と綴られていた。直子さんは「百人一首は父がよく詠んでくれました。唯一、家族が喧嘩をせずに仲良くやっていたものかもしれません」と懐かしみ、思わず涙をこぼすのだった。