今回の配達先はカナダのブリティッシュコロンビア州ラングレー。ここで“ナースプラクティショナー(特定看護師)”として活動する野々内美加さん(48)と、島根県に住む父・正廣さん(75)、母・純子さん(74)をつなぐ。カナダに渡って19年。両親は「本当は近くにいてほしい。でも昔から自分でやると決めたことは必ずやり遂げる子。もう日本には戻らないでしょうね」と寂しそうに語る。
勤務する診療所では、看護師にもかかわらず患者の診察を行う美加さん。実はナースプラクティショナーとは日本にはないシステムで、診断や治療、薬の処方も行える上級看護師のこと。美加さんは45歳の時、新たにこの資格を取得した。看護師としてのバックグラウンドを持ちながら、医者と同じことを学び、看護師の特性を生かしたケアをするのが仕事だ。
実はこの州で深刻な問題になっているのがホームレスの多さ。美加さんは空き地をねぐらにするホームレスを訪ね、定期的に訪問診療や声掛けを行っている。経済的理由から診療所には来られないホームレスのために、自らの意思でこの活動を始めたという。美加さんは州に雇われて収入を得ているが、彼女のようにホームレスの訪問診療を積極的に行っているナースプラクティショナーは珍しいという。
実はホームレスと強く結びついているのが薬物依存の問題。薬物の過剰摂取で亡くなる人も多く、それを未然に救うのも診療訪問の目的の一つなのだ。一筋縄ではいかない患者ばかりだが、「難しい患者だからこそ、うまく行った時は嬉しい。医療から離れていた人たちや、自分をないがしろにしていた人たちが、健康のことを考えるようになってくれると、やりがいを感じる」という。
看護学校を卒業後、日本で看護師として働いていた美加さんは、29歳の時に語学留学のためカナダへ。両親と1年だけという約束を交わしたが、看護師不足のカナダの状況を知り、移住を決意。両親は猛反対したという。その後、のちに夫となるクリスさん(51)と出会い、結婚。彼は再婚で、しかも連れ子がいたため、母には強く反対された。美加さんは「“親の死に目に会えなくてもいいのか”と言われ、“死に目に会えないのは寂しいけど、その一瞬と自分の人生の幸せとどっちを選ぶのかと言われたら、申し訳ないけど自分が幸せになることを選ぶ”と啖呵を切った。だから成功しないと帰れない」という。
現在、長男は独立し、自宅では夫のクリスさんと長女のアレクセスさん(23)、そして結婚後に授かった絵里佳さん(11)と暮らしている。実は美加さん、ナースプラクティショナーの資格を取るために大学院に入学したのは、絵里佳さんがまだ4歳だった41歳の時。日本の両親や友人には大反対されたが、家事をこなし、看護師として働きながら、4年かけて大学院を卒業。陰で支えてくれた夫や子供たちには「感謝しかない」という。
これまで、“自分の人生は自分で決める”を信条に、あえて困難な道を歩んできた美加さん。2年前には久々に両親と旅行をしたが、確実に歳を取った2人の姿に愕然としたという。「これまで離れていた分、これからはできるだけ一緒にいる時間を作りたい」と美加さん。
そんな両親から届けられたのは、亡き祖母から母へと受け継がれてきた着物の帯。カナダに骨を埋めるであろう娘に、いつの日か譲りたいと考えていた形見の品だ。母からの手紙には、19年前の渡航前後に母としての葛藤や苦しみを詠んだ短歌がしたためられ、添えられた手紙には「今はカナダに根を張って頑張るあなたの生き方を、母としてとても嬉しく思っている」と綴られていた。美加さんは「じゃじゃ馬娘でいっぱい迷惑をかけて心配させた。今は愛する家族もいて幸せだから安心してほしい」と、涙で語るのだった。