今回の配達先はアメリカのガラス工芸発祥の地、マサチューセッツ州のサンドイッチ市。ここでガラス職人として奮闘する松本幸美さん(43)と、大阪に住む父・光司さん(72)、母・利美さん(69)をつなぐ。ガラス作りに魅了されて18年前に渡米し、そこで出会った20歳年上の師匠と結婚した幸美さん。両親は「こうと決めたら絶対にやる子。反対しようにも口をはさむ余地はなかった」と当時を振り返る。
この町にガラス職人の夫・デイビッドさん(62)と共に工房を構える美幸さん。彼女が生み出す色彩豊かな作品は、マサチューセッツ州を代表する工芸品にも選ばれ、州会議事堂に飾られるほど。レベルの高いこの街でも、特に高い評価を受けている。だが、彼女はあくまでも「アートではなく、うちはただのガラス屋さん」といい、職人であることにこだわる。毎年あるレストランのオーナーからは、一つ一つすべてデザインが違う600個ものビールジョッキのオーダーが入るなど、彼らのガラス作品を気に入ってくれている人は多い。
彼女が作るガラスの特徴はその独特の色遣い。特に好評なのが代表作である大ぶりの器“キモノボウル”。祖母が着ていた着物の柄から発想を得たという、さまざまな色ガラスを使った作品だ。大きな作品になると、最後の仕上げの工程を師匠のデイビッドさんが担当する。彼はアメリカでもっとも古い老舗ガラス工房で30年間働いたベテランのガラス職人で、アメリカ大統領や、ローマ法王にも作品を作ってきた名工なのだ。
日本で美術の専門学校に通っていた時、ガラス工芸に魅せられた幸美さんは、本格的に吹きガラスを学びたいと1999年に渡米。老舗のガラス工房で師弟として共に働いていたのがデイビッドさんだった。やがて2人は付き合うようになり、結婚。一緒に独立して、15年前に自分たちのガラス工房を開いた。当時彼は50歳、幸美さんは30歳だったが、「何事においても誠実な彼の人柄にひかれた」という。当初、その年齢差に日本の両親はとても心配したそうだが、今では彼の誠実さに両親も安心しているという。
昨年5月には隣町に自分たちの作品を展示するギャラリーショップをオープンした。幸美さんはこの店を始めてから、夫婦で青果店を営んでいた両親の、懸命に働く姿を思い出すという。「どれだけやっても両親にはかなわない。でも、コツコツ地道にやっていれば、いずれ形になるということを両親から学んだ」と幸美さんはいう。
愛する夫と共にガラス職人として自分らしい人生を生き抜こうとする幸美さんに、日本の両親から届けられたのは、子供のころから大好きだった母のぬか漬け。大根は父が自宅で丹精込めて育てたものだ。幸美さんは「私が一番食べたかったものです!まさかアメリカで食べられるとは」と大感激。懐かしい母の味に「力をもらえた」といい、喜びの涙を流すのだった。