今回の配達先はドイツの首都ベルリン。この街でプロのベーシストとして活躍する東川聖大さん(30)と、岡山県に住む父・雅弘さん(60)、母・まりこさん(61)をつなぐ。父との確執から“日本もこの家も嫌になった”と言い残して日本を飛び出した聖大さん。以来8年間、家族とは絶縁状態に。そんな状況を悲しむ父は「昔の僕は傲慢やった。原因は僕やと思います」と言って涙するが…。
現在ベーシストとして、それぞれジャンルの違うバンドを8つ掛け持ちし、精力的に音楽活動をする聖大さん。大きな野外フェスのライブから、州公館で行われる政財界のVIPが集まるレセプションパーティーでの演奏まで、プロのミュージシャンとして多忙な毎日を送っている。
そんな彼が、子供のころから大好きだった音楽で勝負しようとベルリンにやって来たのは8年前。何のツテも頼れる人もなく、当初は食べるのがやっとというギリギリの生活だったという。世界中から若いミュージシャンたちが集まるベルリン。実はヨーロッパの中でも物価が安く、なんとか生活できてしまうため、若いミュージシャンたちがさらに上を目指して努力しなくてもなんとかやっていける甘い街でもあるのだ。しかし聖大さんは「絶対に抜け出してやる」と決意し、来る日も来る日もさまざまなバンドに自らを売り込む努力を重ねたという。現在参加しているバンドのひとつ「オスカ」は、ドイツでメジャーデビューを果たし、国内外から高い評価を得るバンドに成長した。聖大さんは「今は国内だけでなくヨーロッパでも活動しているところ。このバンドで日本でも活動できるようになりたい」と、将来の夢を語る。
自らの力だけで人生を切り開き、着実にキャリアを重ねてきた聖大さんだが、この8年間に日本の家族と連絡を取ったのは2回だけ。“もう連絡をしないでほしい”という通告と、“次に帰るときには戸籍を外す”という絶縁宣言ともいえるものだった。いま彼にとって大切なのは日本の家族ではなく、ベルリンで一から築きあげた人間関係なのだという。
日本にいた頃、父とは事あるごとにぶつかった。「父は他人の意見を絶対に聞き入れようとしないし、一切折れない人だった。価値観の違いからすれ違いが増え、大きな喧嘩になって、“親子としての関係でいるより、離ればなれになろう”とお互いに答えを出した」。聖大さんは日本を出る決意をした経緯をそう語る。
“家族は必要ない”という聖大さんの言葉が胸に刺さる父。それでも「自分の子供がこんなに立派に成長し、活躍してくれてうれしい」と感極まる。一方、聖大さんには今も強く心に残っているエピソードがある。「幼稚園ぐらいの頃、父は僕ら兄弟に“お前たちはこれから巣立っていくが、俺たち両親を必要とするな。これから先、本当にお前たちを必要としてくれる人が人生の宝になる。そういう人たちを大切にしろ”と、しょっちゅう言っていた。それが今でも頭の中にある。父親としてはあまり尊敬できる人ではないけど、男としては父を尊敬している」と聖大さんは言う。
そんな聖大さんに日本の家族から届けられたのは、両親と兄弟が写った家族写真。そこには“笑顔の似合う聖大。たまには遊びに帰っておいで”というメッセージが綴られていた。聖大さんは「父親譲りの頑固さかもしれないけど、これまでどおり変わりなく見ていてほしい。でも今回、開けるか開けないかはわからないけど、“扉”は見えた気がする」と、父との雪解けの可能性を感じさせる発言も。それを聞いて父は感激し、「8年間聞けなかった聖大の声が聞けて良かった…」と号泣するのだった。