今回の配達先はアメリカ・ボストン。ジャズミュージックの最高学府として有名なバークリー音楽大学の助教授として5年前からピアノ科でジャズピアノを教える三輪洋子さん(46)と、兵庫県に住む父・勉さん(81)、母・啓子さん(75)をつなぐ。日本では自宅でピアノを教えていた洋子さん。27歳の時、同大学の奨学金を受けるチャンスをつかみ、両親には2年の約束で留学した。それからもう18年。母は「帰って来てくれると思っていたのに…。この家で毎日娘のピアノを聞いていたかった」と寂しそうに言う。
世界中からやってきた、およそ4千人の学生が学ぶバークリー音楽大学。卒業後はプロの道に進む学生が多く、グラミー賞やアカデミー賞に輝いた世界的に有名なミュージシャンを多く輩出している。洋子さんの授業はマンツーマンの個人レッスン。教えるのは、すでにある程度の技術を身につけた生徒ばかりで、内容もかなり高度なものだ。母国ではプロとして活動している者もいるという。そんな洋子さんには実はもう一つの顔がある。プロのジャズピアニストだ。ドラムを担当する夫・スコットさん(48)らと共に、15年前から“ヨーコ・ミワ・トリオ”としてジャズクラブで活動している。
4歳でピアノを始めた洋子さんは、音楽大学卒業後、神戸のジャズクラブでピアニストとして働きながら音楽学校で学んでいた。そんな中、大きな転機が訪れる。バークリー音楽大学の奨学金のオーディションを受け、見事1位で合格。両親には2年だけという約束でバークリーに留学したのだ。「そこで世界がまったく変わった」。本場のジャズにすっかり魅せられた洋子さんは、卒業後もこの地でプロとして生きていくことを決意したのだ。
夫とはバークリー在学中に知り合い、卒業後バンドを組んで活動を始めたが、音楽の仕事はなく、食べるだけで精一杯の苦しい日々が長く続いた。 “いつか仕事が取れるかもしれない”と、1日中家の地下室にこもって練習を続けた日々。新聞広告に載っている店に片っ端から「演奏させてほしい」と電話をかけ、小さなピザ屋でも演奏した。そんな苦労の末、ようやく5年前、バークリー音楽大学から声がかかり、助教授に採用されたのだ。「やっと認めてもらえた気がした」。地道な活動が実を結び、プレーヤーとしてライブの数も増え、4年前にはボストンで最も優秀なジャズトリオにも選出された。
「世界中に素晴らしいピアニストはたくさんいるけど、必ずしも有名になれるわけではない。自分で売り込むビジネスができないと、世界には出ていけない」。演奏技術だけではない、さまざまな努力のおかげで今があると洋子さんはいう。そんな厳しい道のりを歩んできた彼女を支えてくれたのは母だった。「母は“つらかったらいつでも帰っていいのよ”と、私が帰らないと分かっていても言い続けてくれた。帰れる場所があるんだと言ってくれたのは本当に嬉しかった」。
そんな洋子さんに、人形作家でもある日本の母から届けられたのは、小さな人形の“ヨーコ・ミワ・トリオ”。母手作りのエールだった。洋子さんは「私のできる恩返しは成功して両親に喜んでもらうこと。そう思って頑張っています」と、涙で両親への感謝を語るのだった。