一人目の日本人は、7年前に番組で紹介した家原裕子さん(53)。当時3700ヘクタールもの広大な敷地にある施設で、傷ついた野生のチーターを保護し、狩の訓練をさせて野生に帰す活動を行っていた。ぐっさんを出迎えてくれたのは、現在もチーターの保護活動を続けている裕子さんと、彼女が世話をしているチーターたち。子供時代から動物図鑑がボロボロになるまで読むほど動物好きだったというぐっさんだが、裕子さんが放し飼い状態のチーターとじゃれ合う姿には、さすがにちょっと腰が引けるよう。実は以前にいた施設は経営が困難になり、今は小規模な保護施設を間借りさせてもらっているという。ここではチーターだけでなく、傷ついて保護したホワイトライオンやハイエナの赤ちゃん、サーバルキャットなどの世話もしているという。
裕子さんがチーターの子供たちを散歩に連れ出すというのでぐっさんも同行。目の前を疾走する逞しい野生の姿に、ぐっさんは「カッコいい!感動する」と大興奮だ。しかし、かつてはチーターに狩の訓練をさせることもでき、これまで12頭のチーターを野生に帰してきたが、今の施設は狩をできる広さが無く、フェンスに囲まれた中で暮らさざるを得ない。裕子さんは一刻も早く広いところに引っ越したいという。2時間ほどの散歩が終わると、チーターたちもすっかりぐっさんに心を許したようで、体に触れさせてくれるようになり、ぐっさんも嬉しそう。
日本では外資系銀行で働くキャリアウーマンだった彼女。9年前、休暇で南アフリカを訪れ、ボランティアでチーターの保護活動を体験。初めて世話をしたのがチーターの“ブシュレ”だった。しかし2008年、リーマンショックでリストラを告げられ、ブシュレと南アフリカへの思いを募らせていた彼女は、迷わず日本を飛び出した。45歳の時だった。そのブシュレは足を悪くして9歳の今も裕子さんのもとにいる。前回取材時には「ブシュレを野生に帰すまでは日本に帰らない」と言っていた裕子さんだが、今は最後まで面倒を見ようと考えている。
「今はものすごく幸せ」という裕子さん。かつて娘の結婚を切に願っていた日本の両親は「娘が自分の人生に満足していればそれでいい」と考えも変わってきた。そんな両親から届けられたのは、裕子さんの好物・そうめん。“身体だけは気を付けてほしい”との願いが込められていた。裕子さんは「今までわがままをさせてもらって本当にありがたい」と心配してくれる両親に感謝するのだった。
そしてもう一人、ぐっさんが訪ねたのは、日本の製紙会社の駐在員として今年4月、南アフリカの地方都市ピーターマリッツバーグに赴任した飛驒剛さん(33)。日本に妻・尚美さん(34)と6歳の長男、4歳の長女を残しての単身赴任だ。剛さんは紙の原料となる木を育て、伐採し、木材チップに加工して日本に輸送する総責任者。このチップが日本で加工されて紙になるのだ。
剛さんの仕事に同行させてもらうと、そこは山間部にある1100ヘクタールもの広大な植林地。剛さんの会社はこのような植林地を南アフリカに4か所、合計2400ヘクタールも持っており、そのすべての管理を剛さんが1人で行っている。木が育つまで10年。それを育った順に伐採していくのだという。
高校時代から環境問題に興味を持ち、植林事業の現場で働くことが夢だった剛さんは、自ら志願して南アフリカへ。植林地では現地の雇用を増やすため、先住民のズールー族の人たちを雇っているが、言葉も文化も異なる人々とコミュニケーションを取るのは難しく、思うように作業が運ばないことも多いという。それでも、環境を壊さず、自然を育てながら人間の役に立つものを作る…そんな仕事に剛さんは大きな喜びを感じているという。
妻とは大学院在学中に知り合い結婚。アフリカ行きを決めた時のことについて、剛さんは「子供は小さかったし、本当は行ってほしくなかったと思う。でも腹をくくって“わかった”と言ってくれた」と感謝する。そんな妻からのお届けものは1枚のDVD。そこには子供たちの成長した姿が収められていた。剛さんは「大きくなったなぁ。うれしいですね」とその成長に思わず涙。近いうちにはアフリカで家族一緒に暮らすことも考えているという一家。妻の尚美さんは「アフリカで暮らすのは大変だと思うけど、家族が力を合わせれば乗り越えていけると思う」と頼もしく答えるのだった。