今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。トップダンサーを目指して奮闘する木下磨世さん(31)と、兵庫県に住む父・数則さん(63)、母・葉子さん(63)をつなぐ。8年前、勤めていた会社を辞め、両親の猛反対を押し切って海を渡った磨世さん。父は「彼女のダンスがニューヨークで通用するとは思えない。たぶん無理でしょう」といい、「とにかく早く日本に帰ってきてほしい」と願う。
世界中から集まったダンサーたちがしのぎを削るショービジネスの本場ニューヨーク。そんな街で磨世さんが所属し、活動しているのは女性だけのダンスチーム「バンディッツ」。シンガーとダンサーら総勢20人のチームを、磨世さんはリーダーとして率いながら、振り付けも担当している。このチームで地元のテレビショーや、レストラン・バーで行われるステージなどにも出演。時にはバーカウンターの上で踊ることもあるという。
幼いころから両親、特に父の愛を一身に受けて育った磨世さん。ダンスとの出会いは、4歳から始めたバレエがきっかけだった。世界で活躍するダンサーになるという夢を抱き、大学卒業間際、ニューヨークへ行きたいと両親に告げたが、父は猛反対。「初めて父の涙を見てグッときた。ちゃんと考えなきゃ、と」。やむなく就職した磨世さんだったが、やはりどうしても夢を諦めきれず1年で退職。2年だけという約束でニューヨークのダンス学校に留学した。
「その時は事後報告でした。2年間オーディションを受けまくって、一つも受からなかったら日本に帰ろうと思っていた」と磨世さん。だが留学期間が終わる頃、バンディッツのオーディションに合格したのだ。
それから7年。今、彼女の前に立ちはだかるのは、あまりにも高い本場の壁。ニューヨークには世界中から成功を夢見て優秀なダンサーが大勢集まるが、ダンスだけで食べていけるのはごくわずか。磨世さんも週5日、“ピラティス”のインストラクターとして働きながら、生活している。「最初のころは本当に苦労した。私がニューヨークでやっていたことといえば、ほとんどがバイトとダンスのレッスンで、オーディションも全然受からなかった。この街には本当にすごい人がたくさんいて、何度もくじけそうになった」。今は仕事がもらえるありがたさを身にしみて感じているという。
日本に帰る気はあるのか?両親が一番聞きたいことを聞いてみると、磨世さんは「もちろん両親の気持ちはわかっていますけど…今のところ帰るつもりはない」という。そこにはある理由があった。ダンスチームで振り付けを担当する中で、徐々に振付師としての可能性が見えてきたのだ。「ダンサーとしてはあと5年が寿命かな。将来的には振り付けとか構成とかで大きな舞台をやりたい」と、新たに見つけた夢を語る。
磨世さんがバーカウンターの上で踊る姿を見た父は、「食べていくことが大変だということはわかる。でも男親としては、やはり抵抗がある」と、複雑な思いを口にする。そんな父が娘に届けたのは、“磨世の生い立ち”と書かれた1枚のDVD。そこには、まだ若かった父が“磨世ちゃん、磨世ちゃん”と、まだよちよち歩きの磨世さんに呼びかけ続ける姿が映されていた。添えられた父の手紙には、「磨世がステージの上で輝くのを見るのもいいけど、3年後、5年後にどうなっているのか?生活基盤がしっかりした家族がいるのか?父親として心配しない人はいないと思います。小さいときのように親に甘えるのも一つの方法だと思います」とつづられていた。そんな父の切ない思いに大粒の涙をこぼす磨世さん。「親に甘えることは絶対にしないと誓ってニューヨークに来たけど…そういってもらえるだけでありがたい」と、両親に感謝の気持ちを伝えるのだった。