今回の配達先は、いまだ多くの地域で学校や幼稚園が不足しているカンボジア。ここで保育士として奮闘する高橋春香さん(28)と、兵庫県に住む兄・雅史さん、姉・麻衣さん(34)をつなぐ。日本でも保育士として働いていた春香さん。昨年4月にカンボジアに移住したが、そのわずか2カ月後、女手一つで育ててくれた最愛の母が他界。春香さんは最期を看取ることができなかった。姉と兄は、「妹はショックで落ち込んだままカンボジアに行ってしまった。元気に頑張っているのか…」と心配している。
託児所で働いていると聞いていた春香さんだったが、勤務先を訪ねると、そこは旅行会社。実は託児所は休業状態となり、今は旅行会社として営業しているという。春香さんは現在、そのスタッフとして働いているのだ。共働きが多いカンボジアでは、幼い子供たちは親戚に預けられたり、親の職場についてくのが現状。それを解消しようと作られた託児所だったが、平均月収がおよそ100ドルのカンボジアでは、需要を生み出すことが難しかったのだという。
7年前、旅行で初めてカンボジアを訪れ、この国の人と自然に魅了された春香さん。以来、何度もカンボジアに渡航し、ついには移り住むまでに。その最大の理由が、小さな田舎の村・クバールチャームにある幼稚園。そこは2年前に完成した幼稚園で、春香さんはボランティアとして建設に携わったのだ。その経験を通して、この村と村人が大好きになった春香さんは、休日には必ず、住んでいるシェムリアップの町からバイクで2時間かけ、この村までやってくる。
園児はおよそ40人。保育士と幼稚園教諭の資格を持つ春香さんは、日本での経験を活かし、現地の先生に無償でアドバイスをしているという。春香さんが教えるダンスや歌や折り紙など、初めての経験に目を輝かせる村の子供たち。小学校に入学しても辞めてしまう子供も多い中、学ぶことの楽しさを体験することは、彼らの将来に大きく影響するという。村では、幼稚園に子供を預けられるようになったことで、母親は仕事に専念でき、妹や弟の面倒を見るために学校に行けなかった子供たちが、学校に行けるようにもなった。
カンボジアでの幼児教育はまだ始まったばかり。幼稚園教諭の人数自体も少なく、小学校の先生が掛け持ちすることも多いという。それを知った春香さんは、保育の仕方が分からない先生たちに、日本の保育を伝えられたらと、無償でこの幼稚園を手伝っているのだ。「関わった以上は、この幼稚園をいいものにしていきたい」。春香さんはそう語る。
思い出すのは、春香さんが幼いころに起こった阪神大震災で、周囲の人たちに一生懸命おにぎりを作って配っていた母の姿。春香さんはそんな母のような人になりたいという。実はカンボジアに出発前、体調を崩していた母を見て、渡航するかどうか真剣に悩んだという。母の死から1年になるが、今でも“カンボジアに来なければ母の最期に立ち会えたかもしれない”“自分は母の病気から逃げてしまったのかもしれない”と考え、心の整理がつかないという。
そんな春香さんに姉と兄から届けられたのは、薄焼き卵を巻いたおにぎり。母がいつも子供たちのために作ってくれた味を、2人が再現してくれたのだ。添えられた手紙には、「お母さんが弱っていく姿を見て、春香を呼び戻すべきか本当に悩んだ。でも、春香がそばで泣いている姿を見るより、元気でカンボジアで頑張る春香の声を聞くほうがきっと嬉しいのではないかと…」と、葛藤があったことが綴られていた。2人の思いに、春香さんは「お母さんの分もお兄ちゃんとお姉ちゃんが居てくれるから頑張れる」と涙し、懐かしいおにぎりをほおばるのだった。