過去の放送

#3898月21日(日)10:25~放送
ハンガリー・ブダペスト

 今回の配達先はハンガリーの首都ブダペスト。この街で幼稚園の職員として働く梅村欣世子さん(54)と、尼崎市に住む父・利夫さん(82)、母・薫さん(81)をつなぐ。27年前、恋に落ちた男性と結婚するため、両親の猛反対を押し切って日本を飛び出した欣世子さん。父は「結婚の報告はなかった。言葉にならないぐらい腹が立った」、母は「どうして行ってしまったのかと毎日泣いていた」と当時の辛かった思いを明かす。
 欣世子さんが勤める「プラネットキッズ幼稚園」は ヨーロッパはもちろん、世界各国の子供たちが通う幼稚園。欣世子さんはオフィスマネジャーとして、事務作業はもちろん、子供たちの出迎えや見送りから、宗教やアレルギーなど子供たち一人一人の情報管理、幼稚園の財政管理まで任されている。子供たちの成長を見守る欣世子さんの温かな目と、細やかな気配り・対応で、保護者からも大きな信頼を寄せられている。
 ハンガリー人の夫・フェリさん(61)との運命的な出会いは29年前。欣世子さんが旅行でハンガリーを訪れた時のことだった。ビザのトラブルに見舞われ、言葉も通じず、困っていた欣世子さんを助けてくれたのがフェリさんだった。帰国後、文通で愛を育み、やがて結婚を約束。しかし、当時は社会主義国が次々と崩壊を迎えようとしていた時代で、その渦中に飛び込んで行こうとする娘を心配した両親は、結婚に猛反対。結局、欣世子さんは許しを得ないまま日本を飛び出し、両親には何も告げず、ひっそりと結婚した。ハンガリーの社会主義政権が終わりを告げた1989年のことだった。その翌年にはベルリンの壁が崩壊。さらに翌年にはソビエト連邦が崩壊した激動の時代だった。
 「両親に対する意地があった。結婚すると言ってこの国に来たからには“見てろよ”と(笑)」。両親とはしばらく音信不通が続いたが、のちに連絡を取り合うようになった。両親は何度もハンガリーを訪れ、欣世子さんとドナウ川沿いなど美しい街で時間を共にしたが、わだかまりを抱えた親子はお互い結婚について話すことはなかったという。フェリさんは「彼女が辛い時、両親に会いたくて泣いていた時も、そばにいて支えてきたつもりです。2人で幸せに暮らしているので安心してください」と、欣世子さんの両親に向けてメッセージを送るのだった。
 日本を飛び出し27年。これまで両親に向き合うことを避けてきた欣世子さんだが、「幼稚園の子供たちを見ていると、あらためて自分が両親にどれだけ大事にされていたのかがわかる。そうして育てた娘が自分たちの元から離れて行った時、どんな思いだったろうと考えると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる」と、これまで面と向かって言えなかった思いを明かす。その言葉を聞いて、両親は「今まで分からなかった娘の本当の気持ちを聞けてうれしい」と感極まる。
 両親に結婚の承諾を得ぬまま、時間だけが過ぎてしまったが、そんな欣世子さんに両親から届けられたのはタコ焼き器。尼崎で生まれ育ち、幼い頃、近所のタコ焼き店で焼かせてもらった楽しい思い出のある欣世子さんにとっては、とても懐かしい品だった。添えられた両親からの手紙には、ハンガリーに行ってしまい、何も告げられず結婚していたことが、とても悲しく心配だったと心情が語られ、「まだあなたに言えてない言葉があります。“結婚おめでとう”」と綴られていた。その言葉を噛みしめる欣世子さんに、フェリさんは「やっと言ってもらえたね」とねぎらいの言葉をかけるのだった。