今回の配達先はスペイン・アンダルシア州セビリア。49歳の今も最前線で踊り続けるフラメンコダンサーの松本良さんと、兵庫県で暮らす姉の澄さん(52)をつなぐ。姉弟の母親は今年3月に他界。姉は「弟と母はほかの母と子とはまったく違う、もっと深いところでつながっていた。私がやきもちを焼くほどだった」といい、深い悲しみに沈む良さんを心配している。
アンダルシア地方が発祥といわれるフラメンコは、虐げられてきた人々の心の叫びを表した踊りが起源ともいわれる。そんなアンダルシアのフラメンコ舞踊コンクールで1994年に外国人初の準優勝という快挙を成し遂げ、日本人でありながらトップダンサーとしての地位を築いてきた良さん。呼ばれればどんな場所でも踊るのがポリシーで、町の小さなレストランでも、目の肥えた地元客が集まる場所で踊るのが大好きだという。良さんの魂を揺さぶる感情表現は、地元のファンからも「スペイン人以上にスペイン人らしい」と絶賛されている。
芸術好きだった両親の影響で、歌やピアノの英才教育を受けた良さんは、大学は演劇科に進学。その実力は、在学中に、劇団四季のオーディションに合格する程だった。しかし、既に始めていたクラシックバレエやフラメンコへの関心が強く、良さんは、ベルギーの振付家に魅了され、クラシックバレエの為に20歳で渡欧。フラメンコ舞踊を研鑽する為にスペインにも留学した。そのときに「自分が求めていたものはコレや!と感じた」。良さんは大学を卒業するやいなや、ただ情熱だけを携えてセビリアに移住。日本でアルバイトをして貯めた貯金を切り崩しながら、一からフラメンコ修業を積み、苦労の末に自らのスタジオを構えたのだ。
以来29年、フラメンコダンサーとして確固たる地位を築いてきたが、昨年末、彼の活躍を誰よりも楽しみにしていた最愛の母の身に、完治したと思われていた癌が再発したことを知る。「母に生きる目標を持ってもらおうと、来年1月に日本公演を行うことにしたんです。母に『最前列で見てもらうから、居てもらわないと困る』と言って…」。しかし、その願いもむなしく、母は公演を見ることなく他界。
良さんは看病の為にスタジオを譲渡し、母の元に再び戻る直前に亡くなったショックで、企画していた日本公演はキャンセルしようと思ったという。
姉は「落ち込んでいるだろうとは思っていましたが、まさか踊れなくなるほどとは…知らなかった」と驚く。
母が亡くなり2 ヶ月して、ようやくダンサーとしての活動を再開できるようになった。「フラメンコをするために日本を飛び出し、親不孝をしてしまった。そんなフラメンコを途中でやめる訳にいかない。最後までやり切って、母に“甲斐があった”と思ってもらえるように続けていかなければ」と良さんはいう。
スペインに渡り29年。母の死を乗り越え、深い悲しみを情熱に変えて踊り続ける良さんに、日本の姉から届けられたのは母の上着。病床の母が亡くなる直前まで羽織っていたものだ。一目見た途端、良さんの目から涙があふれ、「母がよみがえってきたような気がします」とその胸に抱きしめる。良さんは「母の思いと姉の思いが心に沁みます…」と感謝。来年1月に行われる日本公演で、母の遺影を前に最高のフラメンコを踊ることを誓うのだった。