今回の配達先はオーストラリア・ブリスベン。この街で箏奏者として奮闘する西堀孝子さん(42)と、滋賀県に住む父・末治さん(75)、母・チヨコさん(72)をつなぐ。15年前、両親の猛反対を押し切り、愛する人と生きるため海を渡った孝子さん。その直後に病に倒れ、今も体が不自由な母は「本当は近くに住んで、いつでも行き来できる関係でいたかった…」と寂しそうだ。
敷地3000坪の家に、オーストラリア人の夫・ダラスさん(53)、長男(8)、長女(6)と4人で暮らす孝子さんは、自宅の一室で箏教室を開いている。6歳の時、母の勧めで箏を習い始め、25歳の時、名門「生田流宮城会」で師範に次ぐ教師の資格を取得した。今は10人の生徒を指導しており、その半数以上はオーストラリア人だという。イベントなどで孝子さんの演奏を見て日本文化に興味を持った人がほとんどで、中には往復3時間かけて通っている生徒もいるという。
経営コンサルタントをしている夫とは結婚して10年。2001年に孝子さんがオーストラリアに留学していた際に知り合い、直感的に“この人だ”と感じたという。共にこの国で生きることを決めたが、両親は結婚に猛反対。父からは「日本なら、ちゃんとした仕事もあるのに、日本で築けるのと同じものを、お前は築けるのか」と言われたという。“日本で築ける以上の幸せを海外で築いてみせる”。そう心に決めた孝子さんは、勘当同然で再渡豪。しかしその直後、母が脳卒中で倒れた。一度は日本に戻ったものの、結局、体が不自由になってしまった母を日本に残し、再びオーストラリアへ…。孝子さんは「母が倒れたのは、私が苦労をかけたせいだと思う」と自分を責める。
現在は箏教室を開く傍ら、ギタリストのフィル・ウィルソンさんとユニットを結成し、プロとしても活動。箏の魅力を少しでも多くの人に知ってもらいたいと、伝統の枠から飛び出し、新たなジャンルにも挑戦しているのだ。さらに、孝子さんと教え子だけで開催する初めての演奏会を、ブリスベンを代表する教会・セントジョンズ大聖堂で行った。満席とはいかないが、日本文化に関心を持つ地元のお客さんが集まってくれた。
自分には箏があったから多くの人とつながり、人生が豊かになったと孝子さんはいう。そのきっかけを作ってくれたのは母だった。車の運転ができなかった母は、孝子さんを自転車の後ろに乗せ、坂道を行きは40分、帰りは1時間かけて、毎週箏の稽古に連れて行ってくれた。演奏会であいさつに立った孝子さんは、そんな母のエピソードを披露し、「私と同じように、箏が皆さんの人生に影響を与えてくれる特別なものになってほしい」と語りかけた。そんな姿を見た母は、「こんな素晴らしい活動をしてくれて…箏を習わせて本当によかった」と喜ぶ。
かつて父からはこう言われたことがある。「お前は社会に貢献できる仕事をせなあかん」と。孝子さんは「最近、日本文化の懸け橋的な存在として、少しは貢献できているのかなと感じる」という。そんな孝子さんに日本の母から届けられたのは帯締め。和裁をしていた母がまだ元気なころに編んだ最後の1本だという。孝子さんはそれをしみじみと眺め、「自分のやりたいように頑張れ…ということなのかな。私は大丈夫。コツコツと頑張っていきます」と母に語りかけるのだった。