今回の配達先はカナダのリッチモンド。たった一人で日本酒造りに奮闘する春日井敬明さん(44)と、愛知県に住む母・美智子さん(71)をつなぐ。大企業を脱サラし、9年前カナダに渡った敬明さん。母は「まさかあの子が酒造りなんて。やっていけているのか…」と心配している。
大自然に囲まれたリッチモンド。町の水道は山々から湧き出す天然水を引いた正真正銘のミネラルウォーターで、日本酒造りに適しているという。そんなリッチモンドのオフィスビルの中に“酒蔵”を構える敬明さん。日本酒の仕込みは日本なら冬だけの作業だが、敬明さんはここの涼しい気候を生かし、1年を通して仕込みを行っている。
重労働といわれる酒造り。敬明さんは手間暇のかかる仕込みの合間を縫って、商品の配達、営業に至るまで、すべてをたった一人で行っている。配達先は主に日本料理店。バスを乗り継いで1軒1軒足を運び、少量を納品して売り切れれば補充するというスタイルだ。
かつては大手カメラメーカーで技術者として働いていたが、27歳で脱サラ。「カメラは時代と共にフィルムからデジタルになった。自分の原点はモノ作りだったので、やりたかったこととは違ってきた。ならば自分の作りたいものを作ろう…と」。敬明さんは日本酒造りという未知の世界に飛び込み、8年間、日本の酒蔵で修業を重ねた。そして、カナダで酒造りをしたいというオーナーに誘われ、9年前、家族を連れて海を渡ったのだ。
手作りで仕込む彼の日本酒「悠yu」は月産1000本ほど。試行錯誤を重ね、昨年、カリフォルニアのコンテストで3位に入るまでになった。しかし、まだ酒造りだけでは家族を養うことができず、週に5日、洗車のアルバイトをして家計を支える。だがその家族は、今年3月、長女の高校受験のため日本に帰国してしまった。「仕送りと、日本にマイホームがあるのでそのローンもある。まだまだ成功しているとは言い切れない。今はオヤジが頑張っている姿を見せることしかできない」と、がむしゃらに働く。たった一人で奮闘する生活がこれから少なくとも3年。1歳の長男が日本の学校へ進むことになれば、家族はいつ戻って来られるか分からない。
それでも、敬明さんがカナダで酒造りを続ける理由がある。「日本の酒は昭和30年、40年代の技術革新からできたもの。ボタン一つで機械的にタンクの温度が管理され、どれも似たような味になる。その土地の気候や風土、文化に合った味があってもいいと思う」。カナダの大自然と会話しながら手作業で作り上げる酒で、人々をあっと言わせたいという。
アルバイトが休みの日は必ず遠方へ営業にでかけ、アポイントなしで手あたり次第に酒屋やレストランに飛び込んでいく敬明さん。だが、話すら聞いてもらえず追い返されることも多い。いまだに英語は苦手で、商品の魅力をうまく伝えられず、歯がゆい思いをすることも。それでもめげないのは、幼いころに離婚してから仕事をいくつも掛け持ちし、兄弟を立派に育ててくれた母の姿があったから。「おふくろはもっともっと働いていた。まだまだこんな姿は見せられない。成功するまでは帰れない」と敬明さんはいう。
不器用ながらも己の信じる酒造りに邁進する敬明さんに、母から届けられたのは手縫いの前掛け。さっそく身につけて酒蔵に立つ敬明さん。「おふくろには負けていられない。カナダで成功させて帰ります。待っていてください」と母に誓うのだった。