今回の配達先はラグビー王国オーストラリア。クイーンズランド州の州都ブリスベンでラグビー選手として奮闘する平田彩寧さん(20)と、静岡県に住む父・哲二さん(57)、母・加恵美さん(55)をつなぐ。日本では女子ラグビー界の未来を担う選手として期待されていた彼女。父は「向こうの選手は体格が大きい人ばかり。通用しているのか、チームの役に立っているのか…」と心配している。
ラグビー大国といえども女子のプロリーグはまだないオーストラリア。ラグビーだけでは食べていけないため、仕事や学校に通いながら活動する選手がほとんどだ。 彩寧さんが所属する「サニーバンクドラゴンズ」は、ブリスベンの8つのチームで行われる女子ラグビーリーグで去年優勝した強豪チーム。彩寧さんはリーグでの活躍が認められ、クイーンズランド州の代表選手にも選ばれている。
ポジションは司令塔ともいえるスクラムハーフ。スピードと正確なパスには定評があるが、体重100kgを超える巨体の選手たちの中、身長162cm、体重52kgの彩寧さんは小柄で、日本にいた時とは違い、持ち前のスピードだけでは通用しないと痛感している。今は毎日のウェイトトレーニングを欠かさず、コンタクトに負けない体づくりを目指している。
ラグビーを始めたのは小学3年生の時。当時女子チームはなく、男子に交じってプレーしていた。「中学に入ってからは女子ということを意識されて、男子と何ともいえない距離感があった。ペアの練習で一人余るのは必ず私。チームに友達がいないのが精神的にきつかった」と振り返る。
中学卒業後は、島根県の高校に女子ラグビー部が新設されると知り進学。2年生の時にはユース女子日本代表に選ばれ、リオ五輪代表候補の練習にも参加するなど実力を発揮した。高校卒業後は夢を抱いて実業団へ。しかし、チームは高校生に負けてしまうほど弱かった。「私はお金をもらっている限り、勝ちにはこだわるべきだと思っていた。でもそう思わない人との間に温度差が生まれ、チームの中で自分の居場所が分からなくなった」。孤立した彩寧さんは半年で実業団を辞め、より高いレベルを求めて2015年、オーストラリアへ渡ったのだ。もう五輪候補には選ばれないかもしれないと覚悟した上での決断だった。
彩寧さんは現在、ラグビー選手として活躍する傍ら、生活費を稼ぐために日本食レストランでアルバイトをし、州が運営する職業訓練校でスポーツマネージメントを学んでいる。来年には卒業し、大学2年に編入する。これまでのラグビーの実績を評価され、大学の奨学金をもらえることになったのだ。
「今後はチームで実績を残し、オーストラリア代表選手に選ばれることが目標」。そう語る彩寧さんに、日本の家族から届けられたのはぬいぐるみ。中学の時、父がプレゼントしてくれたものだ。「うれしい。このぬいぐるみとずっと一緒に寝ていたんです」。彩寧さんは男子の中で辛い思いをしながら頑張っていた頃を思い出し、涙する。「父はラグビーに関して厳しく、褒められた記憶がない」というが、父からの手紙には「それは、あなたのことを周りの多くの皆さんが褒めてくれるからです。だからこそ父はあなたを叱るのです。それが父の役目だと割り切って」と、その理由が綴られていた。父の本心を知った彩寧さんは、「人としてもラグビー選手としても、父に褒められるような人になりたい」と語るのだった。