今回の配達先はフィジー共和国のマナ島。ダイビングショップを営む脚ノ好美さん(55)と、高校時代の友人、坂下雅裕さん(54)、竹本麗子さん(54)、百田一人さん(55)をつなぐ。好美さんがフィジーに移り住んで19年。もう20年以上も会っていないという友人たちは、「彼はとにかく海が好きで、ずっと南の島で暮らしたいと言っていた。その夢を叶えたのかな」と、好美さんの今の暮らしに思いを馳せる。
サンゴが豊富で多くの魚が棲み、島の周辺だけでダイビングポイントが40か所以上もある自然豊かなマナ島。好美さんは、この海の魅力を求めて訪れるダイバーたちが絶大な信頼を寄せる海のガイドだ。リーダーの好美さん以外、ショップのスタッフは全員現地のフィジー人で、好美さんたちはシュノーケリングから本格的なダイビングまで、すべてのサポートを行っている。好美さんは、「自分の居場所として、こんなにふさわしいところはないと思っている。自分が居るべき場所に居られることが、ありがたい」といい、海で生きる幸せを噛みしめている。
若いころから海が大好きで、二十歳のころにダイビングと出会い、オーストラリアのダイビングショップで働いていた好美さん。そこで、サメと泳ぐ伝説のダイバーがマナ島にいるという噂を耳にしたのが、この島に来るきっかけだった。「アピに会いにマナ島を訪れ、彼と一緒に海に潜ってみたら、本当に彼の周りに何十匹というサメがやってきて、一緒に泳いでいた。彼は、“どうだ?”と言って僕に握手をしてくれた。それを見て“この人と一緒に潜りたい”と思ったんです」。
マナ島に移住した好美さんは、アピが16年前に亡くなるまで、彼から多くのことを学んだという。それは、世界でアピだけにしかできなかったという“シャークスイム”のテクニックだけではなく、海との付き合い方そのものだった。「彼は“人間もサメも一緒だ”と言っていた。彼は普通の人間を超えていたんです」。憧れのアピが亡くなった時、一度は日本に帰ることも考えたが、やはり“アピが愛したこの美しいフィジーの海を守りたい”との思いで、彼が経営していたダイビングショップを引き継ぐことになったのだ。
アピが亡くなった後、しばらく止めていたというシャークダイビング。だが「サメも人間も同じ生き物だ」という、アピが大切にしていた思いを、1人でも多くの人に伝えたいと、2年前から再開した。「アピが亡くなったのが50歳。だから50歳以降は、僕にとってはおまけのような人生なんです。日々の出来事が、“自己最年長記録”で経験する“初体験”ばかり。それの繰り返し。だから毎日が新しいし面白いし、飽きないんです」と、好美さんは言う。
アピの意思を継ぎ、愛するフィジーの海を守るために、島に留まることを決めた好美さん。そんな彼に友人たちから届けられたのは1枚の音楽CD。高校生だった頃に夢中で聴いた思い出の曲の中から、友人たちが選曲したものだ。タイトルは「僕らの思いはあの頃のまま」。懐かしい70年代ヒットソングの数々に聞き入っていた好美さんは、「いいねぇ…よう分かってるね。本当に(思いは)あの頃のままなんやね。ありがとう!」と感謝。「皆でこのマナ島に遊びに来てほしい。ぜひここで同窓会をやりましょう!」と、友人らに呼び掛けるのだった。