今回の配達先はアフリカのセネガル。首都ダカールで、セネガル伝統の「サバールダンス」のダンサーとして奮闘する鎌田のどかさんと、神奈川県に住む父・伸一さん、母るり子さんをつなぐ。3年前、何の相談もなくセネガル行を決めたのどかさん。両親は「アフリカと聞いて“え!?”と思った。でも娘は言っても聞かない。日本で育ちながら、どうしてアフリカで適応できるのか…。私たちには理解できないが、本人には魅力があるのだろう」と言い、戸惑いもあるようだ。
サバールダンスは伝統打楽器“サバール”のリズムに合わせて踊るダンスで、打ち鳴らされる激しいリズムに乗って、アクロバティックな動きを見せるのが特徴。何千年も前から、祝いや祈りの時に踊られてきたものが起源と言われ、今でも結婚式や祭りには欠かせない。路上や空き地で日常的に開催される地元のダンスパーティーにも、のどかさんのようなプロが招かれるという。
のどかさんは、セネガル最高峰と言われる舞踏団「ワトシタ」に所属する40人のプロのダンサーの中で、唯一人の外国人ダンサーだ。舞踏団のリーダーで、セネガル一といわれるダンサーでもあるソンコさんは、のどかさんについて「彼女はできないことがあると悔しくて泣くほど真剣に取り組んでいる。身も心もセネガル人だよ」と称賛する。
母の勧めで小学校1年からクラシックバレエを始めたのどかさん。その後、プロのダンサーとなり、訪れたニューヨークで目にしたのがサバールダンスだった。「生の太鼓のリズムに合わせ、全身を使って躍動するダンスに衝撃が走った」。のどかさんは、どうしても本場で学びたいという気持ちを抑えきれず、日本でやっていたダンスの仕事をすべて辞め、3年前、セネガルに移住したのだ。「セネガル人のダンサーは手足が長く、体つきが全然違う。同じことをしても叶わない。それを補うのは、気迫」。そんなのどかさんの気迫のダンスと努力が実を結び、セネガル最大のダンス大会では、外国人初の最優秀ダンサーにも選ばれた。「ここでは私の踊りを見たいと言ってくれる人がいる。日本にいた時よりも、セネガルのほうが必要とされていると感じる」という。
日本人サバールダンサーは珍しく、現地のメディアにも何度か取り上げられているのどかさん。知名度も実力も、着実にステップアップしているのだが、まったく仕事がなくなるときもあり、生活はギリギリ。「ギャラ交渉が下手だとよく言われます。でも交渉術より、自分の実力・レベルを上げることの方が大事だと思っている」と、のどかさんはいう。
そんな苦しい生活だが、ダンサー仲間たちは面倒見がよく、彼女も大いに助けられているという。この国には困った人がいれば必ず手を差し伸べる“テランガ”という文化が根付いており、失業率は高いながら、アフリカ随一の治安の良さを誇っている。そんなセネガル文化に抵抗なく溶け込めたのは、母の影響が大きいという。「人からものを贈られたら、母はすぐにお礼の電話を入れたり、手紙を一筆書いていた。この国でもそれが一番重要。私は母の姿を見ていたので、それが普通にできる。母のおかげ」と感謝する。
“踊ることこそ生きる事”とばかりに、愛するサバールダンスに人生をかけるのどかさんに、母から届けられたのは手編みのストール。添えられていた手紙には「一編み一編み、のどかの幸せを願いながら編みました。いつもお父さんと、のどかのことを応援しています」と綴られ、のどかさんは「大事に使いたい」と母の思いを噛みしめるのだった。