今回の配達先はハワイ・ホノルル。アロハシャツメーカー「コナ・ベイ・ハワイ」オーナーの木内九州生さん(51)と、東京に住む母・和美さん(74)、弟・敬三九さん(46)、義妹・知英さん(44)をつなぐ。日本ではサラリーマンとして安定した生活を送っていたが、25年前、夢を実現するため、すべてを捨てて日本を飛び出した九州生さん。弟は「アメリカ映画をずっと見て育った兄。“僕はアメリカに住むんだ”と言って行ってしまった」と当時を語り、母は「何を言っても、息子は自分の思うように生きてきた」と話す。
26歳でアメリカ本土に移住した九州生さんは15年前、ハワイに渡り、たった一人で「コナ・ベイ・ハワイ」を立ち上げた。多くの日本人が移民として渡り、今も多くの日系人が暮らすハワイ。その国民服といわれるアロハシャツの起源は、実は日本人が持ち込んだ着物を仕立て直したものだといわれる。「かつてはアロハシャツメーカーが何百社もあったが、1955年以降、その数は激減した。クオリティーの高いアロハが作られた黄金期は1948年から1955年の7年間」と九州生さんはいう。
そんな黄金期のヴィンテージアロハのスタイルにこだわり続ける九州生さん。そのきっかけは、高校生の時に見た映画「ビッグ・ウェンズデー」だった。サーフィンに青春をかける主人公たちがヴィンテージアロハを着こなす姿にシビれたという。九州生さんはその時に見た、もうメーカーすら存在しないアロハシャツを今に蘇らせようとしているのだ。ハワイに移り住んだ九州生さんは、ヴィンテージアロハを片手に店や工場を回り、失われつつあった技術を一つ一つ拾い集めた。「当時はインターネットの情報もなく、一軒一軒電話をして自分の足で探すしかなかった」。そうしてヴィンテージアロハを細部に至るまで当時と同じ製法で再現した彼のアロハを、有名コレクターたちは絶賛。そのクオリティーの高さから世界中にファンを持ち、日本のセレクトショップや百貨店にも並べられているという。
大好きなハワイに住み、大好きな仕事に就き、ハワイで大切な家族にも恵まれた九州生さん。その始まりは25年前、ファストフードチェーンの社員として安定した収入を得ていた頃に下した、ある決断だった。「24歳ぐらいから、一生サラリーマンで終わっていいのか?と自問自答していた。仕事に不満はなかったが、海外に飛び出したいという思いが強かった。やれば何かが変わる。アクションを起こすことが一番大事だと思う」と九州生さんは言う。
そんな彼にもひとつだけ心残りがあるという。それは25年前、一切反対することなく送り出してくれた亡き父の事だ。ハワイが大好きだったという父。「アコーディオンや鍵盤楽器演奏のプロだった父は、洒落ていて、洋服もいいものを着ていた。僕は似たのかもしれない。父とハワイで一緒にビールを飲みたかった…」と父がいないことを惜しむ。
そんな九州生さんに母から届けられたのは、父の形見のアコーディオン。母の手紙には「パパの一番大切なアコーディオン。大好きだったハワイと九州生のそばに置いてくれれば、パパも喜ぶと思います」と綴られていた。九州生さんは「懐かしい…子供のころによく見ていた楽器です」としみじみ眺め、「やりたいことをやらせてくれた両親には本当に感謝しています」と語るのだった。