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#3621月24日(日)10:25~放送
インド・デリー

 今回の配達先は、発展著しいインドの首都デリー。オーナー美容師として奮闘する徳見勇郎さん(53)と、大阪に住む妻・さち子さん(45)、娘の遥さん(17)、息子の太地(たいち)さん(14)をつなぐ。長年大阪のサロンでトップスタイリストとして活躍していた勇郎さんは、50歳にしてすべてを捨て、妻子を日本に残してインドで独立した。妻は「突然何を言い出すのかと驚いたが、本人の意思は固く、応援しようと決めた。でも、お客さんに来てもらえないと仕送りが止まってしまう。そこが一番怖い」と心配している。
 勇郎さんのサロンはデリーでも1等地といわれるエリアにある。インドには理容師や美容師の免許はなく、主に男性が利用する路上散髪店は日本円で200円程度、女性用ヘアサロンのカット料金も1000~2000円程度と格安だ。だが勇郎さんは現地価格に合わせず、日本でやっていた頃と同じ約7000円と、かなり高めの料金設定で勝負している。
 日本ではトップスタイリストとしていくつもの系列店にまたがり、多くの美容師を育てていた勇郎さん。美容雑誌の立ち上げにも携わり、コンテストの審査員を務めるなど、関西の美容業界では一目置かれる存在だった。その高い技術と、日本式の丁寧なサービスを武器に、これまで駐在員など現地在住の日本人をターゲットに営業してきたのだ。
 しかしここ最近、売り上げが伸びず、厳しい状況が続いているという。駐在員は赴任期間が終わると帰国してしまうため、彼らをメインにする今のやり方では、安定的な売り上げにつながらないのだ。少しでも現地のお客を増やしていくことが課題だが、インド人女性の大多数がロングヘア―。髪を切ることは少なく、サロンではカラーやスタイリングが中心で、勇郎さんが培ってきた高いカット技術をお客に見せる機会が少ないのが悩みだという。
 勇郎さんがインドに渡ったそもそもの発端は3年前。勤めていた大阪のサロンがインド支店を開業することになり、勇郎さんがその責任者としてやってきたのだ。しかし開店直前、支店の話は立ち消えに。それでもインドに大きなチャンスを感じた勇郎さん。日本ではもう自分のやるべきことがないと感じていたこともあり、悩んだ末、勤めていたサロンを辞め、インドで独立したのだ。「美容師は僕の天職。人生最後のコンテストという意味で、ここで賭けてもいいのかなと決断した」。人生の折り返し点を過ぎ、2人の子供と妻を日本に残しての挑戦。後戻りすることはできない。
 勇郎さんの夢は、デリーからインド全土、さらにはアジア諸国へ店舗を拡大すること。最終的に家族のいる日本とインドを、美容の仕事を通じてつなげたいという。今は売り上げが上がらず、厳しい現実を前に心が折れそうになることも多いが、「妻は僕のやりたいことに協力してくれ、“後のことは私に任せて”と思ってくれている。いまは本当に厳しいが、妻に“ありがとう”と言えるようになるよう頑張りたい」と、自分を奮い立たせる日々だ。
 そんな妻から勇郎さんに届けられたのは、結婚20周年を記念したビアグラスと、手作りのおつまみ。日本にいる頃、毎日仕事でヘトヘトになって帰宅していた勇郎さんを癒してくれた手料理だ。久々に口にした勇郎さん。「おいしい!落ち込んでいる場合じゃないですね。一番応援してくれているのは妻であり家族。もっと頑張ろう!と元気をもらいました」と、家族に感謝するのだった。