今回の配達先はアメリカ・ロサンゼルス。自らのブランドを立ち上げ、ファッションデザイナーとして活躍する柴田あゆみさん(42)と、名古屋に住む父・幸男さん(71)、母・かよ子さん(67)をつなぐ。両親は「前のブランドを立ち上げた時、人に騙されてトラブルに巻き込まれたことがあった。今回はうまくやっているのか心配」と、遠く離れた娘を案じている。
あゆみさんは自身のブランド「EIS(エイス)」の経営者兼デザイナー。2人のスタッフを抱え、デザインから生産管理まで、そのほとんどを1人で行っている。立ち上げからわずか1年半で、全米100の小売店で販売されるまでになった「EIS」。あゆみさんの才能が認められ、あのレディー・ガガの衣装を製作したことから一躍有名になり、今ではさまざまなアーティストから衣装デザインの依頼があるという。
ラスベガスで開催された全米最大のファッション展示会に、このほど初めてブランドのブースを出展したあゆみさん。大手ブランドは100万円もの出展料を支払うが、今回彼女は新進気鋭のデザイナーのために設けられた無料の特別ブースが使用できることに。「数百人の中から6人だけが選ばれる新進デザイナーの1人に選ばれた。ブランドとして認知されたということが、自分にとって一番の誇り」と、あゆみさんは胸を張る。 この展示会で注目されればビジネスチャンスが一気に世界へ広がる。自ら新作商品を身にまとい、バイヤーとの商談に挑むあゆみさん。1日に何回も新しい服に着替えて商品をアピールしたり、名刺をもらった人には必ずすぐに追ってメールでプッシュするなど、次へつなげるためのどんな小さな努力も惜しまない。「売れるためなら何でもする。それしか考えてない」とエネルギッシュだ。
画家である母の影響で、美術の道へ進もうと夢見ていたあゆみさんだが、母は猛反対。「描けない苦しみとか、母はその大変さを知っているからじゃないでしょうか」。そこで、あゆみさんは好きだったファッションの世界へ進もうと、高校卒業後、文化服装学院に入学。‘94年に東京のデザイン会社に就職した。だが、仕事に忙殺される日々が続き、「自分の時間がまったく取れず、何のための人生なのかと。自分の人生を考え直し始めた」と振り返る。
その後、アメリカ人男性との結婚を機に31歳で渡米。‘08年に離婚したが、あゆみさんはロスに留まり、自らのブランドを立ち上げたのだ。「とにかく売り上げを増やし、何としてもブランドを大きくしたい」と熱く語るあゆみさん。実はその情熱の裏には、ある辛い体験があった。「エイス」の前に別のブランドを立ち上げていたとき、共同経営者に騙されるような形でブランドを乗っ取られたのだ。
すべてを失い、もう一度、一からブランドを立ち上げることになってしまったが、あゆみさんは「もう立ち直りました。今は怖いものはありません」ときっぱり。今ではブランドも大きく成長し、「いつか子供服や、食器などの陶器も手掛けてみたい」と夢は広がる。陶器作りは、幼い頃に両親に連れて行ってもらった窯元での陶芸体験がきっかけで興味を持ち、いつかやってみたいと思うようになったのだという。
一度はすべてを失いながら、ゼロから這い上がり、成功をその手につかもうと奮闘するあゆみさん。日本の両親から届けられたのは、母が自ら焼いた茶碗と皿。かつて家族で瀬戸の窯元で陶芸をしたことを懐かしむ母が、最近になって陶芸教室に通うようになり、作ったものだという。添えられた手紙には、「お互い、より納得できる作品を作りたいと思う気持ちを大切に、精進していきましょう」と綴られていた。かつて、家族みんなで陶芸で作った箸置きを、今も大切に持っているあゆみさん。母と通じるものを感じ、「うれしいですね」と感激するのだった。