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#3479月13日(日)10:25~放送
イタリア・クレモナ

 16世紀後半、現在のヴァイオリンの形が誕生した街であり、史上最高のヴァイオリン職人・ストラディバリも工房を構えていたイタリア・クレモナ。150を超える弦楽器工房がひしめくこの街に、自らの工房を構えて4年になるコントラバス職人の鈴木徹さん(39)と、千葉に住む父・弘三さん(72)、母・節子さん(65)をつなぐ。大学卒業後は進むべき道に迷い、フリーター生活をしていた徹さん。両親は「組織の中には入りたくないと言って、就活もしていなかった。まさかイタリアへ行くとは…。突然のことで驚いた」と振り返る。
 弦楽器の中では最大の大きさを誇るコントラバス。クレモナでコントラバスを作り続けている職人は3人ほどしかいないという。電動工具を使ったダイナミックな製作作業は、大きなコントラバスならでは。弦楽器職人というよりも、家具職人の仕事に近いという。その一方で、本体にネックを取り付ける際の削り出しなどには、一転して繊細さを要する。1ミリでも削り過ぎると、継ぎ目に隙間ができ、すべてが台無しになるという。
 この11年間で26台を製作してきた徹さん。思い描く理想の音を響かせるため、金具以外はすべて手作りすることにこだわる彼のコントラバスは、2013年、2015年に「国際コントラバス奏者協会コンクール銀賞」を受賞。世界にも認められた。徹さんは理想の音を追及するため、7年前から世界でもトップクラスの弓職人のもとで修業を続け、演奏用の弓も製作している。楽器と弓をどちらも製作する職人は極めて珍しいという。
 コントラバスとの出会いは大学時代のバンド活動で。その後も演奏は続けていたが、プロになる気はなく、卒業後は目標のない日々を送っていたという。「当時は腐ってましたね」と徹さん。そんな悶々としたある日、沈んでいく太陽を眺めながら「これからどうしよう」と考えていたところ、突然ある音がよみがえってきたという。かつてカンボジアのプノンバケンの丘で夕日を見た帰り、“カーン”と山中に響き渡る音に心奪われた。それは蝉の鳴き声だった。以来、その音がずっと頭の中に残っていたという。「その音がよみがえってきた瞬間、“俺はこの音が鳴るコントラバスを作ればいいんだ”と思った」。徹さんはそのひらめきに従い、2004年、弦楽器製作の本場・クレモナへ渡り、国立弦楽器製作学校に入学。職人の道へ飛び込んだ。
 しかし、生活できるようになるまでには、親にも言えなかった苦しい時期があったという。「2年目の冬の寒い時。ポケットに200ユーロ(約2万8000円)しかなく、それが全財産だった。どうしよう…と不安に思っていると、その時働いていた所の師匠が、作りかけのヴァイオリンを買ってやるよと言ってくれて…。ギリギリの状況になるとそういう人が出てきて助けてくれ、なんとか首の皮一枚でつながってきた。今は本当に幸せ。みんなに感謝している」という。
 そんな徹さんに日本の家族から届けられたのは、真新しい靴と小さな靴。小さい方は徹さんが初めて歩いたときに履いていた一足で、母が大切に取っておいたものだ。母の手紙には「徹が一歩を踏み出してから40年…これから先も自分の目と足で前を向いて歩いて行ってください。100年、200年後も徹の弦楽器を弾いている人が世界のどこかにいるはず」と綴られていた。徹さんは「信じてもらっているんですね」と感激。「まだまだ頑張ってこれからも歩き続けていきたい」といい、母の言葉に大きな力を得るのだった。