今回のお届け先はフランス・パリ。飲食店激戦区で地元パリっ子たちに人気のワインバーを営む東郷文孝さん(34)と、大阪に住む父・信行さん(63)、母・明子さん(67)をつなぐ。9年前、音楽を勉強するためにフランスへ渡ったが、自らの才能に限界を感じ、3年前にワインバー経営という畑違いの道へ。両親は「店を始めたことは事後報告だった。でも、すぐに行き詰るだろうと思っていた」と話す。
文孝さんの店「ヴァンヴァンダー」はテラス席も合わせて33席。スタッフは音楽大学に通うホール係の青年と、スリランカ人のシェフ、そして文孝さんの3人。パリのワインバーは、簡単なおつまみ程度のフードメニューしかないのが一般的だが、ここでは手の込んだオリジナルメニューを提供。それを目当てにした常連たちで店はいつも賑わっている。
文孝さんがワインを仕入れるのは生産者の直営店。同じ種類でも違うビンテージのものが出るたびに自分の舌で必ず確かめる。「自分が飲んだことのないワインは絶対に売らない。そこが命」と文孝さんはいう。生産者の深い知識やこだわりを素直に学び、取り入れていく姿勢が、素人経営だった彼のワインバーを、本場の人に愛される店に育ててきたのだ。
日本では音楽大学でオーケストラの指揮者を目指して学んでいた文孝さん。卒業後は一旦就職したものの、音楽への思いは断ちがたく、音楽留学のためフランスへ。学費を稼ぐために働き出したのがパリのワインバーだった。そこでワインの深い世界に魅了されるが、同時に、自らの音楽の才能には限界も感じていた。そして3年前、ついに音楽の道を諦める決意をし、ワインバーという、まったく畑違いの道へ足を踏み入れたのだ。「音楽家として食べていけるのは一握り。果たして自分はその一握りになれるのか?と問うた時、“なれない”と認めるのは、辛い“ハンコ”を押す作業だった。人生の終わりだと思った」と文孝さんは振り返る。
しかし「ヴァンヴァンダー」は彼の人生に多くの仲間との新しい出会いをもたらしてくれた。今では彼らが、駆け出しの経営者である文孝さんを支えてくれているそうで、「パリで築いた人間関係は僕の財産」という。音楽の道から転身して3年。「店をやることも、音楽をすることも、自分の中ではずっと温めてきたこと。一つのライン上にあった」というが、そのことを日本の両親がどう思っているのかは、はっきりと聞いたことはない。文孝さんは「音楽をやるためにずっと支援してくれ、苦労をかけてきたので、受け入れてもらえないだろうと思った」という。
そんな文孝さんに日本の両親から届けられたのは真新しい指揮のタクト。添えられたメッセージには「これを贈るのは、決して指揮者を目指してほしいからではありません。店のコンダクターとして、人とのつながりを大切に、店長タクトを振り続けてください」と綴られていた。文孝さんは「はっきりとこんな風に認めてもらうような言葉を言われたことがなかったので、うれしい。小さいころからわがままばかり言って迷惑をかけ、振り返ると恥ずかしいことばかり。今は2人の息子でよかったと思う」と、両親へ感謝の言葉を語るのだった。