ドイツ最大の工業都市シュトゥットガルト。ドイツの伝統的製法でフルオーダーメードの靴を製作する工房で働く靴職人の福光慶子さん(27)と、広島県で農業を営む父・康裕さん(59)、母・千代美さん(56)をつなぐ。かつてはプロのサッカー選手を目指していた慶子さん。両親は「まさか靴職人になるとは…これから長い年月、職人として頑張れるのだろうか…」と心配している。
慶子さんが働くのは「クリバック靴工房」。師匠であるクリバックさん(50)のもと、靴の修理を担当している。縫い糸から手作りし、ひと針ひと針、手間暇かけて作られるドイツ伝統文化の靴作り。現在はほとんどが機械化され、このような昔ながらの製法を守り続ける工房は少なくなっているという。機械なら5分で終わる作業が、手縫いだと30分もかかるが、慶子さんは「もう捨てようかなと思うような靴を、新品みたいに修理して、また履いてもらえるのはうれしい」といい、やりがいを感じている。
実はクリバックさんが弟子を取ったのは慶子さんが初めて。靴作りはクリバックさんが担当しているが、慶子さんは最近、お客の足の型取り作業を任せてもらえるようになった。完璧にフィットするオーダーメードの靴作りにとって、型取りは要となる重要な作業だ。クリバックさんは「まだまだ高度な技術を教えていきたい」と、彼女の成長を見守っている。
小学校からサッカーを始め、夢はプロのサッカー選手だったという慶子さん。日本でも有数のサッカー強豪高校に進学したが、そこで大きな挫折を味わうことに。「レベルがあまりに違いすぎて…そこにいることが辛かった」。慶子さんは高校2年で転校し、その後“本気で打ち込める何かを見つけたい”と、19歳でドイツに語学留学した。「サッカーで頑張れなかったことは悔しい…知っている人がいないところで新しいことに挑戦したいというのもあった」と、日本を飛び出した理由を明かす。
そんなドイツで偶然出会ったのが靴作り。「街に小さな靴屋があり、外から工房が見えて“なんてかっこいいんだ”と」。しかし、本当に自分がやりたいことなのか?と自問し、気持ちを整理するため、一度は日本に帰国。それでも、どうしてもやりたいという気持ちは変わらなかった。
2年後、再び海を渡った慶子さん。ドイツ中の靴工房に弟子入り志願した中で、唯一受け入れてくれたのがクリバックさんだった。現在は彼の工房で働きながら、週に3回、オペラやバレエの名門劇場であるシュトゥットガルト州立劇場内の専属靴工房で、舞台用の靴の製作を行っている。舞台が変わるたびに衣装の靴も変わり、ダンサーのバレエブーツなど、いろいろな種類の靴を作れるこの仕事は、職人として大きな経験になっているという。
ドイツに渡り5年。将来については「まだまだ中途半端。日本に帰るには早すぎる。もっと胸を張れるようにドイツで頑張りたい」という慶子さん。日本の両親から届けられたのは、実家の田んぼで作ったコシヒカリ。慶子さんは「小さい時からずっと食べてきたお米。うれしい」と、久々に味わう実家のお米の美味しさに大感激する。添えられた両親の手紙には「一度きりの人生、楽しんで!」とエールの言葉が綴られていた。両親の思いに涙する慶子さんは、「心配をかけることも多いけど、もっとしっかり自立して生きていけるよう、頑張りたい」と誓うのだった。