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#3417月19日(日)10:25~放送
カンボジア・プノンペン

 今回の配達先はカンボジアの首都プノンペン。この地で初のうどん専門店を開業した西川浩司さん(36)と、大阪で讃岐うどん店を営む、師匠の山下隆之さん(45)をつなぐ。
 日本の飲食チェーンで働いていた浩司さんは、4年前にカンボジアに渡り、1年の準備期間を経て讃岐うどん店をオープンした。メニューはぶっかけうどんやカレーうどんなど、日本と同じ定番メニューが揃う。味はカンボジア風にアレンジすることはせず、こだわりのあるダシ以外は現地の食材を駆使し、日本の味を再現しようと奮闘している。
 11人いる従業員はすべてカンボジア人。当初は日本人とはあまりにも違うその気質から、軋轢もあったという。「時間を守らないとか、目先の事しか考えてない人も多く、苦労の連続だった」と浩司さん。長い内戦、ポル=ポト政権による虐殺と、ほんの20数年前まで混乱が続いていたカンボジア。頑張って働いて蓄財しても、次の日にはすべてを失うという歴史が、人々から勤勉さを奪っていったのだ。しかし、浩司さんの指導もあり、現在いる従業員たちはみな真面目に働いてくれ、浩司さんも大きな信頼を寄せている。
 若いころから自宅でうどんを手打ちするほどのうどんマニアだった浩司さん。ある時、山下さんが作るうどんと出会い、そのおいしさに衝撃を受けたという。以来、山下さんの店に通いつめるように。山下さんは「西川さんは讃岐うどんの知識も深く、自分で材料を取り寄せて麺を打ったり、自己流ですごく勉強していることを知って気に入った。それで“うちでやってみないか”と声をかけた」と振り返る。
 山下さんのもとでうどんの教えを受けるうち、開業への思いが高まっていった浩司さん。目を付けたのはカンボジアだった。経済成長著しく活気があったことと、元々米粉を使った細麺を食べる麺文化が根付いており、ビジネスチャンスがあると考えたのだ。浩司さんは、店舗経営の経験ゼロ、ツテもなく、言葉もまったく話せない状態で、麺を切る機械と開業資金200万円だけを携え、単身日本を飛び出した。
 開店当初は日本人や外国人客ばかりで、讃岐うどんはカンボジアの人に受け入れられなかったという。“まずは現地の人に讃岐うどんの魅力を知ってもらうことが第一”と、浩司さんは“手打ち”のこだわりを捨て、機械で麺を大量生産し、地元の日本料理店でうどんを出してもらうことに。カンボジア人の好みに合わせ、麺も若干細くした。すると狙いは的中。徐々に地元のお客さんが増えていったという。
 「最初は、ただうどん屋をやりたいということだけだったが、お客さんも従業員も増え、もっと大きく展開していくためにはどうしたらいいか?と考えるようになった」と浩司さん。実は、今の店舗を引き払い、もっと規模の大きな新しい店を始める計画中だという。ターゲットは観光客や富裕層ではなく、カンボジアの一般庶民で、うどんをこの国の日常の食べ物にしたいという。「このまま守りに入りたくない。さらに攻めていきたい」と夢は広がる。
 そんな浩司さんに届けられたのは、山下さんが自分の店を持った時からずっと愛用してきた「麺切り包丁」。“いつか自分の理想とする手打ちの店をやってほしい。そしてカンボジアでうどんの第一人者になってほしい”という山下さんの想いが込められていた。感激する浩司さんは「この包丁に恥じないように、師匠から受け継いだ心意気をカンボジアで伝えたい」と決意を新たにするのだった。