今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。ジャズトランペット奏者として活躍する佐々木亮さん(38)と、東京に住む父・孝さん(68)をつなぐ。音楽で生きようと、9年前に日本を飛び出した亮さん。父は「ジャズなんて食えない。とりあえず大学へ行けと反対した」と当時を振り返る。そんな父は、亮さんが5歳の時に妻を亡くし、その2年後に再婚。「でも、新しい家庭はうまくいかなかった。息子には相当嫌な思いをさせた」と、悔やむ思いもあるようだ。
夜は有名レストランやジャズバーで演奏し、昼間は毎日公園でジャズミュージシャン仲間とセッションを披露するなど、音楽一色の生活をおくる亮さん。トランペットを始めたのは、「家庭の事、学校の事…いろんなことに悩み、どこにも居場所がなかった」という15歳の時。そんな中、テレビで見たのがジャズトランペット奏者、ウイントン・マルサリスの演奏だった。「力強くてすごくかっこよかった。ジャズの即興演奏がとても自由に思えて、そこに憧れてトランペットをやりたいと思った」と当時の高揚した思いを語る。
高校は有数の進学校に進んだものの、ますますトランペットにのめり込み、「有名大学に進学してほしい」という父の期待に反し、音楽で生きていこうと決意。アメリカに渡ってバークリー音楽院に入学した。「僕は生き方として音楽というものを選んだ。その結果、今の自分がある」と亮さんはいう。
彼の部屋には目標とする3つの夢を書いた紙が貼られている。「カーネギーホールで演奏」「幸せな家庭」「お金の心配がない暮らし」。“幸せな家庭”は「うちは幸せな家庭じゃなかったから…」。4人家族の次男として幸せな家庭に育ったが、母の病死、父の再婚で、仲のよかった兄は母方の実家に引き取られて離ればなれに。亮さんは父、継母と暮らし始めたが、新しい家族には馴染むことができず、頼みの父は不在がちで、コミュニケーションも断絶してしまった。家族の中で孤独を深めていった亮さんの唯一の逃げ場が、トランペットだったのだ。
現在は、NYジャズ界の生ける伝説と言われる名プレーヤーとセッションをしたり、ジャズの聖地で何十年も演奏してきた仲間たちと共に演奏するなど、「毎日本物のジャズを浴びて生きていけるのがNYの素晴らしいところ。何者にも代えがたい体験」という充実した音楽生活を送る亮さん。一方、父との溝は今も埋まらないまま。父がNYを訪れた時も、あえて会うのを避けてきたという。「音楽は自分が見つけた世界。自分の居場所。そこに親父が土足で踏み込んでくることがすごく嫌だった。その気持ちは分かってもらえてないと思う」と亮さんはいうのだが…。
そんな父から届けられたのは、亮さんがトランペットを始めたころ、家族の前で初めて演奏した映像のDVD。嫌々吹いている自分の姿を見て「親父に“やれ”と言われるのがすごく嫌だった」とその時の思いを振り返る。そして、父が初めて息子に宛てた手紙には、妻亡き後、家庭放棄して子供たちに苦労を掛けたことを詫び、「亮がなぜジャズトランぺッターになったのか?小生が与えた心労などが音楽に向かわせたのか。いつかその真相を聞きたい」と綴られていた。その文面に亮さんは思わず涙。「ずっと親父との関係は、母がいた時の“過去”のものだった。今日もなければ未来もなかった。この手紙には母が亡くなってからの30年以上が集約されている。未来のことはわからないが、とりあえず僕と父の“今”から始めたい」という。長く閉ざしていた心を解いてくれた息子に父も号泣。「息子との関係を修復したい。息子に会いたい…」とつぶやくのだった。