アメリカのフロリダ州デイトナビーチで、テニスプレーヤーを目指し奮闘する松葉海奈さん(21)と、大阪に住む父・正司さん(54)をつなぐ。アメリカに渡って3年。現在、スポーツの名門大学の特待生としてプロを目指す海奈さんを、父は「アメリカの大学は勉強の成績が悪いと試合に出られないと聞く。勉強とテニスの両立が全うできるのか心配」と案じている。
海奈さんが在籍しているベスーン・クックマン大学は、スポーツの強豪校として知られており、野球やアメリカンフットボールなどで多くのプロスポーツ選手を輩出してきた。テニス部も世界各国からテニスエリートたちが集まる強豪で、海奈さんを含むチーム全員が、テニスに関わる費用はもちろん、学費・生活費のすべてを全額免除されている特待生。中でも海奈さんは、アメリカ南東部の大会で、1年生ながらタイトルを総なめにしたチームのエースだ。
6歳でテニスを始め、ジュニア時代から様々な大会で活躍。中学卒業後は地元を離れ、岐阜県のテニス強豪校へ。今は亡き母と共に実家を離れ、2人で生活を共にしながら二人三脚でテニスに打ち込み、高校ではインターハイでベスト8に入賞するなど輝かしい成績を収めた。高校卒業後はプロを目指して単身アメリカへ渡ることを決意。まったく英語を話せない状況から猛勉強し、見事、特待生の権利を勝ち取ったのだ。
大学は“ディビジョンワン”と呼ばれるスポーツと学業の両立が義務付けられた指定校。「うちのテニス部はみんな成績が良くてオール5の人がほとんど。テニスだけじゃなく勉強もしっかりやらないと、この学校には残れない」と、授業以外でも練習の合間を見つけては自習を重ねるなど、ハードな勉強を続けている。
これまでプロになる夢を追い続けてきた海奈さんだが、1度だけその夢を諦めかけたことがあるという。高校1年の時、海奈さんをそばで支えてくれた母が病で倒れたのだ。「お見舞いに行くと、テニスの練習に行きなさいと言って、テニスのことばかり心配していた」と海奈さん。結局半年の闘病生活ののち、母は帰らぬ人となったが、海奈さんは母の死を実感できなかったという。しかしテニスの成績はどん底に。「もうここまでかな、やめようかなと何度も思った。でも最終的には、母に喜んでもらうにはテニスしかないと。母と約束したプロの夢を目指して、もう一回頑張ろうと考えるようになった」と海奈さんは当時の思いを語る。
そんな彼女のテニス人生に大きな影響を与えた恩師がいる。あの錦織圭選手を見出した伝説的なコーチ、ゲイブ=ハラミロ氏だ。ゲイブ氏のいるテニスアカデミーには、直接彼の指導を受けようと世界中からトッププレーヤーの卵たちが訪れるが、海奈さんもアメリカに渡った当初、ここで彼の指導を受けていた。2年ぶりにそんな恩師と再会した海奈さん。ゲイブ氏は当時を懐かしみ「当時彼女が持ってきたお父さんの手紙には、“海奈の亡き母親の夢は、彼女がプロになることだった。そのためにもなんとか力を貸してほしい”と書かれていて、とても心を動かされた」と振り返る。
母のため、父のためにもプロになる夢を叶えようと懸命にテニスに打ち込む海奈さん。そんな彼女に父から届けられたのは、亡き母の形見の帽子。試合の時、母はこの帽子をかぶり、必ずスタンドから声援を送ってくれていたという。「テニス中心の生活を、母はいろいろサポートしてくれた。プロになって活躍して、恩返しをしたい。それが母を一番喜ばせることだと思う」と、海奈さんはあらためて心に誓うのだった。