今回のお届け先はカナダ。ここで庭師として奮闘する小川隼人さん(36)と、かつて京都で師事した親方の佐藤耕吉さん(64)、兄弟子の小笠原哲さん(40)をつなぐ。親方は「カナダは風土も、人の日本庭園に対する気持ちも違う。学んだことを今、どう生かしているのか?」と、その仕事ぶりに期待を寄せる。
隼人さんが設計から施工まで手掛けた個人宅の庭園がバンクーバーにある。元々芝生と林だけだった2500坪の敷地を切り開き、新たに1000本以上の木を植え、100トン以上の石を敷き、滝を作り、実に3年もの工期を費やして完成させた。隼人さんは日本の庭園に用いる伝統技術を生かしつつ、カナダの自然やライフスタイルとも調和する庭造りを行っている。この庭は2013年、州最大の造園コンテストで、過去最高得点で最優秀賞を受賞。隼人さんの庭造りが現地で認められた証しだ。
幼いころから海外に憧れていた隼人さんは、20歳の時にカナダへ。そこで偶然出会って惚れ込んだのが庭師の仕事だった。しかし、本気で庭師をしていくなら、一度は日本で修業をした方がいいと勧められ、3年間と期限を決めて、京都の造園会社「楓雅舎(ふうがしゃ)」に弟子入りした。親方の佐藤さんは、日本庭園を造り続けて40年。名人と言われる職人だ。近年、カナダでは日本庭園の人気が高まっており、職人も確かな技術を持たないと生き残れなくなっているという。「親方は厳しかった。見て盗んで学べという世界。親方がいなかったら今の僕はない」と感謝する。
カナダの石材店にも灯篭などの日本庭園風の材料はあるものの、画一化した品物ばかりで、「こういうのをお客さんの庭に置きたくない。だから自分で作る」とこだわる。日本庭園でよくみられる「手水鉢(ちょうずばち)」は、今や日本でも買う人が多いというが、自ら大きな石を削って一から作り上げる。そんな隼人さんが仕事中に身に付けているのは、京都での修業時代に着ていた「楓雅舎」のトレーナー。カナダに戻るときに数枚持ってきたが、10年以上が経ち、最後の1枚になってしまった。「これを着ると気合が入る。看板を背負っている感覚。恥ずかしいものは作りたくない」。そう語る隼人さんに、親方は「涙が出るねぇ」と感激する。
そんな隼人さんが、初めてとなる公共の仕事、市立公園の中の庭園を手掛けることになった。使うのは、重い石などを持ち上げる際に使う、日本の庭師には欠かせない「三又」という昔ながらの道具。こうした日本の伝統技術も守っていきたいと隼人さんは考えている。「公共の公園で庭造りをしたことがあるという実績は、入札の際にものすごく有利になる。1回でもあるのとないのは天と地ほども違う」と、隼人さんは意気込む。
未来への足掛かりになるというこの仕事で、また新たな一歩を踏み出した隼人さんだが、最近職人として抱き始めた葛藤があるという。「カナダでは日本と比べて手に入る材料も限られていて、庭を作り続けていると同じようなデザインになりがち。マンネリ化しないようにいいものを作らなければ…」。そんな隼人さんを見て、親方は 「日本で材料が豊富にあっても庭造りには苦労するのに…大したものだ。感心した」と目を細める。
「親方に恥ずかしい庭は作れない」。親方から叩き込まれた職人魂を胸に、厳しい環境の中で挑戦し続ける隼人さんに、親方から届けられたのは「真黒石(まぐろいし)」。修業時代、材料として置いてあったこの石をあまりに気に入った隼人さん。親方に無断で部屋に持込み、修業の日々を共に過ごして励みにしていたという。それを知った親方が、今日までずっと大切に手元に置いていたのだ。「懐かしい…3年間ずっと一緒だった。最後に自分の庭を作りたいと思っている。その時にこれを使いたい。また明日から頑張ります」と、親方の想いに感謝するのだった。