今回のお届け先はアメリカ・ロサンゼルス。この街でアパレルブランドを立ち上げた村松謙佑さん(34)、大佑さん(31)、雄佑さん(29)三兄弟と、茨城県でひとり暮らす母・和子さん(62)、祖父の恒雄さん(92)をつなぐ。父が若くして亡くなったあと、女手一つで育ててくれた母を残し、相次いでアメリカへ渡ってしまった兄弟。何も言わず見送った母は「私にはただ見守ることしかできない」と、息子たちを案じている。
元々はプロバスケットボール選手を夢見て、高校卒業後、相次いで渡米した大佑さんと雄佑さんだったが、夢は叶わず挫折。失意の中、絵の上手かった雄佑さんがデザインしたTシャツを売ることを思いつき、日本でサラリーマンをしていた謙佑さんを呼び寄せた。三兄弟に加え、雄佑さんの日本での同僚と、弟たちの元チームメートが加わり、2008年、5人でブランド「プロスペクティブフロウ」をスタートさせた。
“温故知新"をコンセプトに、日本やアメリカの先人たちの智恵を未来につなげていこう…そんな思いで洋服作りをする兄弟たち。その発想は、幼いころに亡き父と見た時代劇や、父がよく話してくれた戦国武将、日本の歴史・文化などからアイデアを得ているという。何のツテもなく、まったくの独学で始めた洋服作り。当初はなかなか売れず、苦労も多かったというが、洋服をアートにまで昇華させたその世界観と、職人の手によるこだわりの洋服作りがファッション業界で大きな注目を集め、2013年にはグラミー賞授賞式のステージに採用された。さらには、人気アーティストのミュージッククリップに取り入れられたり、連続ドラマの主演俳優の衣装に使用されるなど、今やエンターテインメントの世界でも注目されている。
ブランドの世界観は、すべて三男・雄佑さんが描く独創的なコンセプト画からイメージを膨らませて創り出される。雄佑さんは「絵が好きになったきっかけは母。学校に持って行く袋に、好きなマンガの絵をよくマジックで書いてもらった。父も絵が上手で、おじいちゃんが手作りする船の模型も魅力的だった。すごく影響を受けましたね」とそのルーツを語る。
年が近く、幼いころからいつも一緒に遊んでいたという三兄弟。亡き父はよく、3人の息子を3本の矢に例えた毛利元就の教えを挙げ、「兄弟力を合わせて」と言い聞かせていたという。「これからも今まで通りずっと仲良く、同じ道を進んで年を取っていけたら…」と3人は願う。そしてブランドを大きく成長させた今、気がかりは日本にひとり残してきた母の事。自分たちを黙って送り出してくれた母には感謝しかなく、寂しい思いをさせていることをいつも申し訳なく思っているという。
そんな母から届けられたのは、家族みんなで登った筑波山にある神社の「商売繁盛」のお札。往復4時間の道のりを、息子たちが渡米してから、幾度となく登ったという。このお届け物には「今僕たちにまさに必要なもの。神仏に祈りたくなる時もある。察してくれたのかな」「お母さん、やるな!」と息子たちは大感激する。添えられていた手紙には「まさかこのような業界でお仕事をすることになるとは…まして3人ともアメリカに行ってしまうとは…あの頃は考えもしませんでした」と、息子たちへの募る思いが綴られていた。その思いに、「早く母に恩返しができるよう頑張りたい」と、兄弟は号泣するのだった。