今回の配達先はベトナム・ハノイ。この街でレストランを営むオーナーシェフの増田悠さん(34)と、大阪・堺に住む父・兼泰さん(67)、母・素子さん(65)、祖母・幸子さん(88)をつなぐ。兄の突然の死をきっかけに自分の生き方を模索し、ベトナムへと渡った悠さん。父は「息子は自分が何をやったらいいのかずっと模索していた。心配だった」と振り返る。
昨年5月、富裕層や外国人が多いエリアにビルを丸ごと借りてオープンした悠さんの店「ペペラプール」は、中華をメインにした創作料理のレストラン。 日本では高級ホテルの中華料理店で修業したが、店では中華料理だけでなく、お客の要望に応えて洋食やケーキなども提供している。店は外国人駐在員やその家族、地元の富裕層の間で評判を呼び、オープンしてわずか半年で人気店になった。
20人いる従業員はほとんどがベトナム人。10代で未経験の若者が多いが、現地からの採用にこだわっている。悠さんはオーナーシェフとして毎日厨房に立ちながら、日本流の接客や挨拶に至るまで、一からすべてを教えている。
日本で料理人をしていた悠さんがベトナムに渡ったのは5年前。アメリカで暮らしていた兄が亡くなったのがきっかけだった。「29歳で亡くなった兄と同じ年になった時、“自分は何をやっているんだろう"と。頑張って生きなければと思いながら、できない自分にモヤモヤしていた」。兄の死をきっかけに自分の人生に疑問を持ち始めた悠さんは「とにかく日本を出よう」と、海外のボランティア活動に参加。そんな中で訪れたのが、ハノイの河川敷に暮らす貧しい人々の集落だった。
川に浮かべたドラム缶の上に、廃材などで建てたボートハウスで暮らす人々で、かつてベトナム戦争で財産を失った人も多い。戸籍を持たない子供も多く、学校にも行けず、就職もできない過酷な生活を強いられている。「そんな中でも、みんな楽しいことを見つけ出していつも笑顔なんです。自分ももう少し頑張って生きなければと力をもらいました」。この集落で1年間、住民たちと寝食を共にする中で、悠さんは生きる目標を見つけたという。「この村の人たちは英語を喋れたり、頭が良くても、家がないから仕事に就けない。だったら自分が雇えたらと」。店をオープンして半年、悠さんはこの集落から6人の若者を雇用してきたのだ。
失意のどん底で訪れた村で、生きる目標を見つけた悠さん。今思うのは、何も言わずに送り出してくれた両親のこと。「息子を一人海外で亡くしているにも関わらず、“行ってくる"と言ったら“分かった"と。本当はすごく心配していると思うけど、そんなそぶりも見せない。自分ならそう言えるだろうか?両親にはすごく感謝している」。そして亡き兄については「兄が生きていたらたぶん僕はここにいない。今は兄と一緒に生きている気がする。悩んでいるなら突っ走れと言われているような気がします」。
そんな悠さんに日本の両親から届けられたのは、店の名前が入った法被(はっぴ)。従業員のものも含め20着あり、その背中には「一期一会」の文字が大きく描かれていた。添えられた手紙には「巡り合う人様とのご縁を大切にね。あなたのおかげで、お父さんもお母さんも、夢を追いながらワクワクした思いを今も持つことができます。ありがとう」と綴られていた。悠さんは「ありがたいです。皆に助けてもらっている分、少しでも人の役に立てるように頑張るので応援してほしい」と、両親に語りかけるのだった。