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#3192月1日(日)10:25~放送
フランス・パリ

今回の配達先はフランス・パリ。近年日本食が大ブームとなっているこの街で、レストランのオーナーシェフとして奮闘する、さくらフランクさん(43)と、大阪に住む父・信行さん(83)、母・富枝さん(73)、姉・真貴子さん(45)をつなぐ。両親はさくらさんについて「昔から自分の弱さを見せないし、困ったときも人に相談しない子だった。頼りたい時には誰かに頼っていいんだよと言ってあげたいが…」といい、パリで苦労しているのではないかと心配している。
 さくらさんの店はパリのモンパルナスにあり、和食とフレンチを融合したフュージョン料理を提供している。座席数は30ほどで、従業員はさくらさんを入れて3人。オーナーシェフのさくらさんは料理のほとんどを一人で担当している。オープンして5年。人々を魅了する料理で和食の魅力を伝えてきたさくらさんは、マスコミにもたびたび取り上げられ、今やパリの日本食ブームの一翼を担う存在となっている。
 日本の料理学校に通っていたさくらさんは、15年前、本場で学びたいとフランスの料理学校へ留学。トップレベルの成績で卒業後、パリの三ツ星レストランに就職し、わずか2カ月という異例のスピードでコース料理の一部を任されるまでになった。だが、当時は日本人の料理人がまだまだ少なく、その地位も低かったため、ロッカーの鍵や靴を隠されるなどの嫌がらせを受けたり、「邪魔だ」と鍋の中のものをかけられたこともあったという。「でも、そこで辞めたら、また同じ階段を上っていかないといけない。“続ける”という選択肢しかなかった」とさくらさん。そんな環境にもくじけず、フランス各地のレストランで修業を積み、念願だった自分の店をオープンさせたのだ。
 夜中に店の営業が終わると、さくらさんはパリ郊外の市場へ食材の買い付けにやってくる。実はフランスでは直接市場に買付けに来る料理人はほとんどいないという。「電話だけの付き合いだと気持ちが通じない。仕事をする現場を見て理解することは大切だと思っている」とさくらさん。“顔を見て仕事をする”という日本的な考え方が、彼女の成功の礎となっているのだ。
 自宅に戻ると午前3時。翌日は睡眠時間たった3時間で、また店へと出勤。この日は営業前に料理教室を開くのだ。さくらさんは12年前にパリで最初に料理教室を開いた日本人女性と言われており、今も忙しい営業の合間を縫って料理教室を続けている。「料理教室が終わるころには、皆さんと友達みたいに仲良くなって、またいろんな次へのつながりが生まれる」と、さくらさんは続ける理由を語る。さらに定休日にも店で日本酒ソムリエ資格を持つさくらさんが、仲間と共に日本酒セミナーを開講。それ以外にも、飲食コンサルタントとして活躍するなど、さくらさんの料理に対する情熱はとどまるところを知らない。
 そんな彼女の原点は小学校時代にさかのぼる。母親が仕事で忙しく、家に帰ると毎日大好きだった祖母の料理を手伝っていたという。「飽きずに本当に好きでこの仕事をずっと続けているのは、そうやって小さいころから楽しんでやっていたからだと思う」とさくらさん。反面、いつも仕事で帰りが遅かった母には、あまり素直に自分の気持ちが言えず、どこか距離を感じていたという。
 そんなさくらさんに日本の家族から届けられたのは、大好きだった祖母の形見の指輪。ひとり全力で走り続けるさくらさんがふと疲れた時、祖母を思い出して元気を取り戻してほしい…そんな母の思いが込められていた。さくらさんは「母は私が祖母のことを一番好きだったのを知っているので、私が持っているほうが喜ぶと思ったのかな。そんなことはないのに…」と申し訳なさそうに語り、「母にももっと優しくしてあげようと思います」と言って、涙をこぼすのだった。