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#3161月11日(日)10:25~放送
オーストラリア・ゴールドコースト

 今回の配達先は、常に大きな波が打ち寄せることから、サーフィンの聖地として知られるオーストラリアのゴールドコースト。ここでサーフボード職人として働く橋本直樹さん(34)と、兵庫県に住む父・富雄さん(65)、母・裕美さん(62)をつなぐ。
親の反対を押し切り、高校を半年で中退し、13年前、サーフィンをするために海を渡った直樹さん。自由を求めて生きる息子に、サラリーマンとして仕事に生きた父は「目的もなく高校を辞めるというのでカチンときた。一生職人で行けるのか、将来はどう生活していくのか…」と案じている。
 直樹さんが働く「JSインダストリー」は世界でも3本の指に数えられる、オーストラリア最大のサーフブランド。アメリカやヨーロッパ、日本にもサーフボードを輸出しており、数多くのトッププロが愛用している。直樹さんが担当するのは、その製造工程のひとつ「サンディング」。成型後のボードを、数種類のやすりを使い分け、ミリ単位まで削って最後の仕上げを行っている。サーフボードは使う人の身長や体重、熟練度、どんな波でどんなパフォーマンスをするかによって、厚みや幅などすべてが違ってくるのだ。直樹さんは月におよそ200本を削っているという。「僕は“一本削っていくら”のフリーサンダー。仕事がなければお金にならないんです」と笑う。
 高校を半年で中退したことについて、直樹さんは「学校に縛り付けられるのが嫌だった。その時、父に初めて殴られた。父はかなり反対していたけど、僕も反抗期だった」と振り返る。そして22歳の時、サーフィンをするためだけにオーストラリアへ。それ以来、父とは話す機会がないままだという。直樹さんは、小さい頃、父とよく琵琶湖へ釣りに行った思い出を懐かしみ、「もう一度父と釣りをしたい」と夢を思い描くが…。
 それまではやりたいこともなく、ただ自由だけを求めて生きていたが、オーストラリアで仕事を探す中、たまたま今の仕事に巡り合った。英語もろくに話せない中、飛び込みで工場に入り、技術を身に付けた後、現在の会社へ移ったのだ。「この仕事とは出会うべくして出会った」という直樹さん。JSインダストリーの社長も「直樹は大切なサンダー。彼はこの大きな会社で確かなキャリアを積んでいる。仕事も多いからちゃんと稼げる。ご両親は何も心配することはない」と語る。
 昨年には結婚もし、今も大好きなサーフィンを続け、「好きなことだけしているので、まったくストレスはない」と言い切る直樹さん。結婚を機に、日本へ戻ることも考え始めているというが、将来の仕事については未だ模索中という。
 そんな直樹さんに父から届けられたのはマッサージクッション。日ごろの疲れを少しでも癒してほしい…。そんな思いが込められていた。そして父が初めて息子に宛てた手紙には、直樹さんが幼いころに琵琶湖で一緒に釣りをした思い出や、高校中退の際に目的が感じられず怒ったことなどが記され、「今はサーフボードを作る職が天性の仕事になってひと安心している」と、これまで話すことのなかった思いが綴られていた。直樹さんは「お互い同じ思いが胸に残っていたんですね…。今は応援してくれているみたいで、初めて父親の気持ちが分かりました。元気が出ました」と、感激するのだった。