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#3029月21日(日)10:25~放送
アメリカ/デラウエア

 今回の配達先はアメリカ・デラウエア州。野菜農場を営む鈴木清信さん(67)と、愛知県に住む母・のぶえさん(89)、妹の通代さん(65)とみさをさん(57)をつなぐ。もう15年も清信さんと会っていないという母は「息子の顔を見たいけど、遠く離れているからしょうがない。仕事が上手くいって、無事でいてくれればいい」と、清信さんを案じている。

 首都ワシントンDCやニューヨークからも近いデラウエアで、東京ドーム5つ分という広大な農場を営む清信さん。中南米から出稼ぎにきた8人の従業員と共に、ししとうやナス、小松菜など30種類以上の日本野菜を、有機農法で栽培している。この規模で日本野菜を作っているのは、東海岸ではここだけだという。アメリカの新聞でたびたび取り上げられてきた清信さんの野菜は、ニュージャージー州の大手スーパーで専用のコーナーが設けられるほど人気なのだ。

 清信さんは毎朝7時には畑に出て、野菜の栽培や収穫はもちろん、箱詰めから出荷に至るまで、すべての作業に携わる。除草剤を使わないため草刈り作業も大変で、1年間ほとんど休めないほど。従業員は中南米のお国柄か、目を離すとすぐにサボろうとするため、清信さんが先頭に立って働かなければならないという。 だが、家族を養うために1人祖国を離れ、出稼ぎに来ている彼らへの清信さんの目は温かい。「僕は7人兄弟の長男で、生活は楽ではなかった。彼らも同じような状況だから…」と清信さんはいう。

 農業高校を卒業後、当時、稼げるといわれた雛の鑑別師となった清信さんだが、徐々に仕事が減り、新天地を求めて、40年前にアメリカへ。祖国を離れて働く苦労は、清信さん自身が身に染みて知っているのだ。

 アメリカへ渡ってからは生活が苦しく、新たな糧として自宅近くで始めた野菜作り。手探りで農業を勉強し、少しずつ土地を借り、作る野菜を増やして農場を大きくしてきた。ところが15年前、土地のオーナーが何も告げずに農地を他人に売ってしまい、突然農場から追い出されてしまった。その時、1億円近い莫大な借金をして、今の農場を買ったのだ。52歳にしてゼロからの再出発だった。

 「15年間は自分の給料はなく、すべて借金の返済に充てた。日本だったら放り出していたかも。でも日本人として、ここで倒産するのは悔しかった」と振り返り、苦労がよみがえったのか涙する清信さん。日本人の意地にかけて事業を成功させる――その一心で、母にも会わず働き続け、踏ん張り続けた15年だった。「今は母に何もできないが、あと3年で借金は返せる。その時には母に会いに行きたい」と清信さん。妹たちは「こんなに苦労をしていたとは知らなかった」と驚きを隠せない。

 そんな清信さんに母から届けられたのは、貧しかった子供の頃、毎日のように食べていた焼き芋。“たまには日本の家族のことを思い出してほしい"。そんな母の思いが込められていた。懐かしい味をほおばった清信さんは「育ててくれてありがとうと言うしかない。私が帰るまで頑張って待っていてほしい」と母へ語りかけるのだった。