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#2988月17日(日)10:25~放送
ドイツ/ベルリン

 今回の配達先はドイツ・ベルリン。現代音楽の作曲家として活動する酒井健治さん(37)と、兵庫県宝塚市で喫茶店を営む母・ちづさん(62)をつなぐ。「昔から息子は自分の世界を持っているというか、踏み込めない部分があった」という母。「現代音楽は正直よくわからない。本人は何も言わないので、今、向こうで何をしているのかもはっきりわからない」と母は心配している。

 バッハ、モーツァルト、ベートーベンなど偉大な作曲家と共に発展してきたクラシック音楽。健治さん曰く「昔から連綿と続くクラシック音楽が発展して現在の形になったのが現代音楽」という。 京都市立芸術大学で作曲を学び、2002年にフランス・パリの国立高等音楽院に留学し、卒業後は作曲家としてフランスを中心に活動していた健治さん。今年の春からその活動の拠点をベルリンに移した。

 仕事場は自宅のリビング。作曲といっても、まったく音のない部屋で五線紙に向い、ひたすら自分の書きたい音を書き記していく。その頭の中には大編成オーケストラの壮大なハーモニーが響いているのだ。必要な楽器にフォーカスすれば、その楽器単体の旋律が鮮明に聞こえてくるという。あとはそれを楽器ごとに譜面に起こしていくだけだ。

 健治さんを一躍有名にしたのは、世界3大音楽コンクールのひとつ「エリザベート王妃国際音楽コンクール」。2012年に作曲部門でグランプリを獲得し、各国から作曲の依頼が舞い込むようになった。「90%以上の現代音楽の作曲家が食べていけない世界。国際的に活動している日本人の現代音楽の作曲家で(食べていけているのは)僕を入れておそらく4人。それぐらい現代音楽を書いて食べていくのは難しい世界」という。

 6歳でピアノを始め、8歳の時に初めて曲を作り、高校生の時には作曲で生きていく決意をした健治さん。当時は90年代で、小室哲哉や小林武史ら、ポップス音楽のプロデューサーが表舞台に立って華々しく活躍した時代だった。小林が作曲したMy Little Loverの曲をピアノで奏でながら、健治さんは「ベートーベンより名作かもしれない」と絶賛。「そんな彼らを見て、かっこいいなと」。健治さんはプロデューサーになるため、大学の作曲科に進んだが、彼を魅了したのはそこで出会った現代音楽だった。

 「ポップスは今の時代を捉える音楽。現代音楽は、今の時代に影響を受けながら、それを未来に投影するということを目指している」という。「自分の言葉で説明できるような音楽は、最先端かどうか自信が持てない。言葉にできないけど、感性がそれを求めていると感じた時、新しいものが生まれるような気がする」。新しい音楽の可能性を見出すため、100年後、200年後のクラシック界に歴史を刻むため、健治さんは見えない未来に向かって曲を書き続ける。

 そんな健治さんに日本の母から届けられたのは、実家が営む喫茶店のカレー。学校帰りにいつも立ち寄り、店の片隅で空想に胸を膨らませた記憶をよみがえらせてくれる味だ。「まさかベルリンでこのカレーと再会するとは」と大感激で懐かしい味をほおばる健治さん。「僕は元気でやっています。仕事も2年前、1年前よりさらに大きくなっている。僕は大丈夫だから、家族みんな仲良く元気でいてください」と、日本の家族にメッセージを送るのだった。