今回の配達先はアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ。60歳にしてステンドグラス作家として歩み出し、今も新たな挑戦を続ける山本恵一さん(73)と、徳島に住む友人の岩田庄司さん(62)をつなぐ。「35年前、私がサンディエゴに留学していた時、1年半ほど山本さん宅に住まわせてもらい、家族同様にしてもらった」という岩田さん。当時は恵一さんがステンドグラスに興味があるとは、まったく知らなかったという。
今は主にステンドグラスのランプを製作している恵一さん。モチーフにしているのはティファニーの繊細で芸術的なランプ。ジュエリーブランド「ティファニー」の創業者一族で、ステンドランプの大家といわれる芸術家、ルイス・カムフォート・ティファニーが作り出したものだ。ガラスが醸し出す独特の色むらや濃淡が特徴で、すべて職人手作りのガラスを使用するため、世界に同じものが一つとしてないという。
恵一さんがランプ一つに使用するガラスは平均500ピース。下絵に合わせてガラスの隅々まで見てイメージに合う色を探し、専用のガラスカッターで切り出し、それらピースをハンダで接着していく。手作りのガラスは生産数も少なく、求める色を探し出すのに何年もの歳月を費やすこともあるという。
ステンドグラスとの出会いは小学生の時。社会見学で大阪市役所を訪れたときに見た1枚の作品だった。「雷に打たれたようにその場に立ち尽くした」と恵一さんはその衝撃を振り返る。高校卒業後は自動車整備工場に就職したが、日本の年功序列にはどうしてもなじめなかった。「当時、アメリカは実力主義だと聞いて」と、24歳の時、自動車の本場で腕を試したい一心で日本を飛び出した。当時のアメリカには日本車を修理できる整備士が少なく、恵一さんは一躍人気の整備士となり、30代にしてアメリカンドリームを手にした。その当時、同居していたのが友人の岩田さんだった。「子供たちも岩田さんのことが大好きだった。彼がここにいたことは僕たちの頭から今も離れない」と、恵一さんは懐かしむ。
整備士として成功を収めた恵一さんだったが、いつも心に引っかかっていたのはステンドグラスのこと。そんなある日、偶然見つけたのが地元のステンドグラス教室だった。当時40歳だったが、仕事を続けながら教室に通い、その後、仕事をリタイアしてから本格的にステンドグラス作家の道を歩み始めた。これまではティファニーランプに近づくことに心血を注いできたが、最近、画家である妻の「模作は必要だけど、ある程度やったら、自分自身の作品を作った方がもっと魂がこもると思う」という一言で、心境に変化が。
恵一さんが初めて挑んだオリジナル作品が、山口県の洞春寺にある。縦40cm、横3mの大作で、ガラスピースはなんと3600個。完成まで1年の歳月を費やした。「この作品を作って初めて妻の言うことが分かった。これからも新しい境地を開いていきたい。新たなチャレンジにワクワクしている」と、73歳にしてますます制作意欲を燃やす。
そんな恵一さんに、岩田さんから届けられたのは指輪。35年前、就職のため帰国する岩田さんに恵一さんが「新たな人生を頑張れ」との思いを込めて手渡したものだ。添えられた手紙には「新たな人生を歩みだされた山本さんに感謝と応援の気持ちを込めて、改めて私からお渡ししたい」と綴られていた。恵一さんは「今も家族同然に思っている。岩田さんだと思って大切にしたい」と、その指に懐かしい指輪をしっかりとはめた。