今回の配達先はドイツ・ベルリン。パティシエとして奮闘する大澤映吏子さん(30)と、静岡に住む母・良子さん(62)をつなぐ。10年前にドイツに渡った映吏子さん。母は「最初は言葉も喋れず、孤独感で泣きながら電話してきたこともあった」と話す。現在は妊娠中の娘の身体を案じている。
映吏子さんが働くのは、共産圏時代の街並みを残す旧東ベルリンにある、オリエンタルな雰囲気のおしゃれなカフェ。ハリウッドセレブもお忍びで来店する人気店で、3つの店舗で出すスイーツをすべて一人で作っている。彼女が作るのは、ドイツの典型的な伝統菓子とは違い、独自のアイデアを盛り込んだオリジナルスイーツが中心で、日本の食材を使ったものもあるという。
日本で製菓専門学校を卒業し、ドイツで語学研修のあと、パティシエになるための職業訓練を受けた映吏子さん。初めての海外での一人暮らしだったが、「言葉を覚えるため、自分を追い込んで、日本人グループとは関わらないようにした。最初の3年は本当につらく、何度も日本に帰ろうと思ったけど、帰っても後悔するのは目に見えていた」と、振り返る。
そんな時期を支えてくれたのが、当時調理師をしていた現在の夫・マーティンさん(29)だった。映吏子さんは結婚後も仕事のキャリアを重ね、一時は有名ホテルで製菓部門の責任者を任されるまでになったが、「ホテルなので、デザートもコース料理に合わせないといけなかったり、コック長と話し合わないといけない。日本の食材を使っても、ウケなかったらやめないといけなかった」と映吏子さん。もっと自由にオリジナルのスイーツを極めたい…との思いから、今の店で働くようになったという。
3か月後に出産を控えた映吏子さん。ドイツでは出産予定日の6週間前までと、生まれてから8週間は法律で仕事をしてはいけない期間と決められている。「妊娠5か月目からは、立ち仕事も4時間までと決められている。でも私は一人でやっているので…」。妊娠中も仕事の量は変わらず、忙しく立ち働いている。
定期的に新作スイーツを作っている映吏子さん。新しいアイデアを試しているときが何よりも楽しいという。「仕事も好きなことができて、夫も優しい。今が一番幸せ」というが、パティシエの道に進むと決めたとき、母は賛成してくれなかったという。普通に大学に進学して普通の職業に就くことを望んでいた母。「そういう生き方をしていたら、海外に来て、年に1回会えるか会えないかという状況にもなってないし、親孝行になっていたのかなとは思う」と、胸が痛むようだ。
母親になるという人生の大きな転機を迎えようとしている映吏子さんに、日本の母から届けられたのは、一本の筆。30年前に映吏子さんが生まれたとき、最初に生えていた髪の毛を使って作られたもので、初めての赤ちゃんを授かった喜びを留めておこうと、母が大切にしまっておいたものだ。手紙には「生まれてきてくれてありがとう。何歳になっても子供は宝です」と綴られていた。映吏子さんは「ドイツに来てつらかったとき、お母さんと電話で喋るのが唯一の励みだった。それがなかったら、とっくに日本に帰っていたと思う。ありがとうしか言えない」と、涙で母へ感謝の気持ちを語るのだった。