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#2742月16日(日)10:25~放送
タジキスタン

今回の配達先はタジキスタンの首都ドゥシャンベ。この国でただ一人の日本人バレエダンサーとして奮闘する白羽萌さん(23)と、吹田市に住む父・毅さん(57)、母・彩さん(52)、妹・希さん(19)をつなぐ。旧ソ連諸国の中でも特に貧しい国の一つといわれるこの国で、苦労しながらもバレエを踊り続ける萌さん。心配する父は「帰ってきてほしい。元気な顔を見せてほしい」と望むが…。

 萌さんはタジキスタンのバレエ団に所属し、主役を演じることもあるソリストのひとりとして活躍している。だが、1991年に旧ソ連から独立したタジキスタンは、その後6年続いた内戦の影響でいまだ経済的発展が進んでおらず、バレエに対する人々の関心も低く、観客も少ない。2日後に迫った公演が行われる旧ソ連時代の国立バレエ劇場は老朽化が目立ち、補修もままならないという。萌さんは「劇場にお金がないのはチケット代が200円ほどと、あまりに安すぎるから」と指摘する。

 7歳でバレエを始めた萌さんは高校卒業後、本場ロシアの名門バレエ学校で学び、ロシアのバレエ団に所属するエリートダンサーの一人だった。だが、舞台監督とうまくいかず、役をもらえない不遇の時代が続き、新天地を求めて2年前にタジキスタンへやってきたのだ。萌さんの実力を認め、この劇団に誘ってくれたのが、ロシアでも活躍した今の舞台監督だった。

 そこで重要な役を任されるようになった一方、ダンサーが約20人と少ないこのバレエ団ならではの苦労もある。1人で2役、3役をこなさなけらばならないこともあり、ケガをしても休むこともできない。それでも「大変だけど、必要とされている感じがして、逆にうれしい」といい、「踊り終えて花束をもらったり、拍手をもらったりするのが大好き。バレエがなければ私じゃない」と萌さん。彼女にとって、ソリストとしてスポットライトを浴びて踊れることは、何ものにも代えがたい喜びなのだ。

 月収は4万円ほど。家賃は劇団が負担してくれるものの、アパートは古く、電気が切れたり、水道が止まったりと不便も多い。節約をしてなんとか生活できる状況だという。バレエをやる上で、決して恵まれた環境とはいえないが、「結局バレエが好きだから。両親にはお金もたくさん出してもらったし、迷惑をかけた。少しでも有名になって、両親が自慢できるような人になりたい」と、バレエを続ける理由を語る。

 そんな萌さんが、仕事の合間を縫ってこの1年続けていることがある。タジキスタンの人たちにバレエを身近に感じてもらいたいと、友人が経営するレストランバーで創作モダンバレエを踊っているのだ。だが将来を考えると、このままこの国で踊り続けていいのかと、思い悩むこともあるという。

 そんな萌さんに日本の両親から届けられたのは、小学4年の時に生まれて初めて履いたトウシューズと衣装。添えられていた母の手紙には「これからのバレエ人生で辛くて苦しくて悩んだとき、トウシューズを初めて履いたときのうれしかった気持ちを思い出して」と綴られていた。母の思いに涙ぐむ萌さんは「つらいことはいっぱいある。本当は日本に帰りたい。でも踊れなくなるまでバレエをやっていくと決めたのだから、最後までやります」と固い決意を語るのだった。