今回の配達先はオーストラリア・メルボルン。路上パフォーマー「バスカー」として奮闘するミュージシャンのジョージ・カミカワさん(39)と、三重県に住む母・美子さん(65)、兄・一博さん(43)をつなぐ。一度は日本で就職したものの、サラリーマン生活になじめず、1年で会社を辞めて海外に飛び出したカミカワさん。母は「亡き夫は、生活していけるのかと心配し、海外へ行くことは反対で、2人はよく喧嘩をしていた」と振り返る。カミカワさんが日本を去った後、亡き父の工場を継ぎ、母や祖母の面倒をみてきた兄は「向こうで周りの人にどう受け入れられているのか見てみたい」と話す。
メルボルンの街の名物となっている「バスカー」。世界中から集まったその数はおよそ800人。バスカーたちを管理するのはメルボルン市だ。市が行うオーディションに合格しないと、大通りでパフォーマンスを行うことができないシステムで、優れたバスカーだけがこの場所に立つことができるのだ。
カミカワさんはここで演奏を始めて14年。ギターやドラム、ハーモニカ、シンバルなど、すべてを一人で演奏するユニークなスタイルで、メルボルンのバスカーの中でもトップレベルの集客率を誇る。サポートするのは妻のセーラさん。仕事は週に3日。1回30分のワンステージを1日5回行い、生活費のすべてをその収入だけでまかなっている。2004年には、メルボルン市が開催したバスキングコンテストで見事優勝。今やメルボルンではナンバーワン・バスカーと言っても過言ではない。
ギターが得意だった兄の影響で、中学時代にギターを始めた。プロのギタリストを夢見たこともあったが、断念して一般企業に就職。だがサラリーマン生活にまったくなじめず、1年で辞め、24歳のときにニュージーランドへ。その時に出会ったのが路上でパフォーマンスを見せるバスカーたちだった。お客さんの評価がリアルに感じられるその姿に、カミカワさんは魅了されたという。
最近では路上だけでなく、ライブイベントの依頼も増えた。5年前からはメルボルン在住の日本人津軽三味線奏者とユニットを組んでのライブ活動も行っている。ミュージシャンとして着実に活動の幅を広げる一方で、カミカワさんにはずっと気がかりなことがあるという。それは亡き父の工場を継ぎ、家族の面倒を見てくれている兄のことだ。
「自分だけ日本から逃げ出し、好き勝手なことをして…。兄には申し訳ないし、感謝している」。そう語るカミカワさんに、日本から届けられたのは、兄が大切に保管していたビートルズのLPレコード。それは、かつてカーラジオから流れる曲を聴いて気に入った兄弟のために、父が買ってくれたものだった。「一番最初に聞いた洋楽だったかもしれない」と懐かしむカミカワさん。家族を兄に任せて好きな音楽活動をしていることについて、添えられていた兄の手紙には、“そんなことは気にしなくていいから、お前は思う存分、音楽を頑張ってほしい”と綴られていた。兄の思いを初めて知ったカミカワさんは「そうやったんや…もっと頑張らなアカンと思いますね」と、感極まるのだった。