今回のお届け先はアメリカ・ラスベガス。自動車整備工場を営む村田強至さん(32)と、京都に住む父・和彦さん(60)、母・美佐子さん(59)をつなぐ。元々整備士として働いていたこの工場が閉鎖されることになり、両親に大借金をして工場を買取った強至さん。父は「親としては出来る限りのことはしてやりたかった」と振り返る。一方、母は「子供のころは引っ込み思案で、人に背中を押されないとダメな子だった。英語もまったく出来なかったのに…」と、息子が工場経営をしているのが信じられない様子だ。
強至さんが経営を始めて4年になる「サムライモーターズ」は、 オイル交換から部品交換、修理までを手掛ける、いわゆる街の自動車整備工場。経営者で整備士でもある強至さんのほか、メキシコ人の従業員2人が働いている。持ち込まれる車は1日20台以上。車社会のアメリカでは、車の使用頻度は日本と比べものにならないほど多く、整備工場は日常生活に欠かせない場所なのだ。
強至さんがアメリカで整備工場を経営するようになるまでには、度重なる偶然があった。日本で第一希望の高校受験に失敗した強至さんは、母の薦めで、手に職が付けられる高校の自動車学科に進学。しかし、卒業後に就職したのは飲食店。ところがその店が2年で倒産してしまったのだ。無職となってアメリカへ1人旅に出た強至さんは、ラスベガスでたまたま知り合った旅行ガイドにこの工場を紹介され、単身渡米。英語も話せないまま整備士として働き始めた。
だが2年半後、工場が閉鎖されることになり、オーナーから「工場をやってみないか」と持ちかけられた強至さんは、なんと無謀にも工場を買いとる決断をしてしまったのだ。背中を押してくれたのは母だった。両親に大借金をし、英語も技術も未熟で、ましてや会社経営の知識などまったくないまま、強至さんの工場はスタートした。そんな彼にできることといえば、少しでも早く、安く、お客さんの身になって仕事をすることだけだった。そんな誠実な仕事ぶりが口コミで評判となり、お客さんが次々とやってくるように。さらには細やかなサービスが評価され、日系大手旅行会社との契約も獲得。この4年で工場は順調に成長し、今ではラスベガス郊外に大きなマイホームを手に入れるまでになった。
一方で「車はどんどん電気化されてきている。いつかメカニックも町工場もなくなるのではないか」と将来の不安も感じている。それでも車のボディを直す“ボディショップ(板金屋)”は職人技なので変わることはないと思う。今年中には新たに始めたい」。強至さんは将来を見通し、新たな挑戦でさらなる成功へつなげようとしている。
日本を飛び出して7年。「ここにいれば自分のしたいことがある。“絶対成功させる”と言って親を納得させた言葉が忘れられない。途中で投げ出すことはできない」。そう語る強至さんに、日本から届けられたのは、招き猫と、貯金通帳を持って微笑む母の写真。その裏には「会社設立の時に貸したお金、返済してください。強至が頑張って元気で幸せに暮らしている証として、口座の数字が増えていくことを楽しみにしています」と綴られていた。強至さんは苦笑いしながらも、近いうちの返済を約束。「自分のやりたいことに向かって突き進んでいくので、応援よろしくお願いします」と両親に呼びかけるのだった。