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#2579月29日(日)10:25~放送
イスラエル

今回の配達先はイスラエル。この地でピアニストとして活躍する金沢多美さん(46)と、東京に住む父・善彩さん(87)、母・澄子さん(76)をつなぐ。高校を卒業してパリの音楽学校に進学して以来、ずっと海外暮らしの多美さん。15年前、同じピアニストである夫・ユヴァルさん(46)と共に、彼の祖国であるイスラエルにやってきた。いまだ周辺諸国との紛争問題を抱えるこの国で暮らす娘を心配する両親は「パリの学校を卒業したら、必ず日本に戻ってきなさいと約束したのに…。娘が近くにいてくれたら精神的にどんなにありがたいか」と、寂しい気持を打ち明ける。

 両親の勧めで4歳からピアノを始めた多美さん。高校卒業後はパリへ渡り、世界でもトップクラスの音楽学校へ進学した。しかし「競争がすごく厳しかった。優秀なピアニストたちに囲まれ、埋もれていく感じだった。自分は将来どうなるのか、どう道を切り開けばいいのか悶々とする日々だった」と多美さんは振り返る。 

 どうすればピアニストとして生き残れるのか?新たな可能性を模索する中、27歳の時ポーランドの音楽学校へ。そこで運命を変えたのがユヴァルさんとの出会いだった。彼の提案でピアノ・デュオを結成し、新たな道を歩き始めた多美さん。その後、2人は数々の国際大会で優勝するまでに。この国で毎年開催されている世界トップレベルのピアノの夏期講習会では、講師として世界に名だたる各国のトップピアニストたちと共に、多美さん夫婦も4年連続で招かれている。                                                      
 夫と2人で、ピアノ・デュオ奏者としてイスラエルで生きる覚悟の多美さん。「こんな遠いところまで来てしまい、両親には寂しい思いをさせて申し訳ないと思っている。でも愛する夫がいて、生きて行ければいいんじゃないかとも思う。成り行きでここへたどり着いたけれど、後悔はない」ときっぱり。

 今年、2人が購入した念願のマイホームには、シェルターが設置されている。万が一戦争が起こったときに逃げ込めるよう、どの家も必ず1つシェルターを作るよう法律で定められているのだという。そんな危険が身近にある多美さんを心配する両親から届けられたのは「音楽ノート」。多美さんが中学・高校とピアニストを目指して懸命に勉強していた頃の努力の証だ。「懐かしい。訳が分からないなりにノートを取っていましたが、それが自分の蓄積になったんだなと。その時には分からないけれど、何十年後の力になるんだということの証ですね」と、多美さんはしみじみ語る。最後のページには両親からのメッセージがあり、最後の行には「老後は近くにいて頼れる貴女が遠すぎて…。叶わないことを書いても無駄と知りつつ…」と切ない思いが綴られていた。多美さんは「親を助けてあげなければならない段階なのに、遠くにいるのが心苦しいが…でも、こういう道に来てしまった。何かあればすぐに飛んでいく。両親がいなければ私はここまで来られなかった」と両親への感謝の思いを語るのだった。