今回の配達先はアメリカ・グアム島。この島で唯一の日本風カレーライス専門店を営む渡邊久士さん(36)と、大阪・高槻市に住む母・千恵子さん(59)をつなぐ。久士さんが中学の時、両親が経営していた会社が倒産。久士さんは高校進学を断念し、バーテンダーとして働きながら家計を支えた。母は、「一番大事なときに息子の人生を変えてしまった」と、多感な時期に何もしてやれなかったことを今も悔やんでいる。
久士さんが営むのは「オイシイ・ジャパニーズ・カレーハウス」。カレーはいわゆる日本風のカレーライスで、カツカレーやコロッケカレーなどトッピングのバリエーションが豊富だ。久士さんはこれまで料理人の経験はなく、レシピはすべて独学で研究したという。「味にこだわるというより、スタッフが誰でも簡単に均一な味を作れるよう、フランチャイズ的なレシピを作ることに苦労した」と久士さん。この店を足がかりに、支店を増やしていきたいと考えているのだ。
久士さんがグアムに来たのは3年前。きっかけは沖縄米軍基地のグアム移転計画だった。沖縄の米兵は日本のカレーライスが好きだと聞き、それをビジネスチャンスと考えたのだ。移転を見越し、先行してあえて観光地から離れた場所に米兵や地元民を狙った店をオープンさせたが、その後、基地移転は凍結。当初の計画は大幅に狂ってしまった。「でも、もう一歩踏み出してしまった。引くわけにはいかなかった」。久士さんはターゲットを米兵から現地住民に変更。現地の人の舌に合わせたレシピに変更するなど、苦労しながらようやく経営を軌道に乗せるまでになった。
高校進学を諦めて家計を支えた時期には、反抗心から荒んだ時期もあったという久士さん。その後、アメリカ人女性との結婚を機に渡米し、ロサンゼルスの飲食店に就職。寝る間を惜しんで英語と経営を猛勉強し、5年後には高級レストランの経営を任されるまでになった。しかしその後、離婚。それを機に、自分の店を持ちたいという夢を実現させるべく、グアムへとやって来たのだ。
10代の頃から親の助けを借りず、自分の力だけで人生を開いてきた久士さん。会社の倒産や進学で久士さんに辛い思いをさせたことを、母が今も悔やんでいると聞くと、「何でそんな風に思うのか?全部自分の意志でやってきたこと。早く社会に出て学んだこともたくさんある」と、母を気遣う。
そんな久士さんに母から届けられたのは、カレーショップの名前が入ったエプロンとバンダナ。母が生地から手作りしたもので、“ひさしがんばれ”という刺繍のメッセージには、店の成功を祈る母の想いが込められていた。「僕のことをちゃんと思ってくれているんですね」と涙を浮かべる久士さん。さっそくそれを身につけて厨房に立つと「嬉しいですね。気持ちが引き締まります」と、一層気合いを入れてカレー作りに取り組むのだった。