今回のお届け先は、西オーストラリア最大の都市パース。この地でトマト農場を営む大熊栄久さん(65)と、神奈川県に住む長女・千秋さん(36)、次女・千春さん(35)、三女・栄香さん(33)をつなぐ。日本では妻と共にトマト栽培に励んできたが、その妻を亡くし、8年前にオーストラリアに渡った栄久さん。娘たちは「海外での農業も、父は母と一緒に行こうと思っていた。母を亡くしたときが一番こたえたと思う」と振り返り、「父も年齢が年齢なので、ケガや病気が心配」と気遣う。
パースは年間250日が晴れという農業に適した土地。ここ特有の砂地は水はけが良く、太古からの腐植が溜まって栄養分も多いため、普通の土より栽培がしやすく良い作物ができるという。栄久さんが営む「大熊ファーム」では、社員とワーキングホリデーの学生ら、およそ20人が働く。1日に収穫するトマトは約700キロで、「MOMOKO」というブランドで販売されている。甘くておいしいMOMOKOは、一般的なトマトより割高だが、売れ行きは上々という。
栄久さんがパースにやって来た当初は、土地と道具を借りて何もないところに畑を開き、配管やパイプの溶接に至るまで1人でコツコツと作り上げたという。必要最低限の水を点滴のように与える“ドリップ潅水”は「水分ストレスで樹液が濃くなり、糖度が上がる」と栄久さん。必要な農機具も自分で手作りするという。「農業というのは、やればやるほど面白味が出てくる」。そんな手間暇惜しまぬやり方が、おいしいトマト作りの秘訣なのだ。売り上げも現在2億円近くあり、経営はすこぶる順調。2年前にはさらに2.2ヘクタールの土地を購入して農地を増やし、着実に成功を積み重ねている。
日本では長年、妻と2人でトマト農場を営み、いつか夫婦で海を渡り、トマト作りをするのが夢だったという。しかし栄久さんが48歳の時、妻がガンで他界。その後、長年の夢を実現すべく理想の地を探し求め、たどり着いたのがパースだった。日本の農場を娘たちに託し、この地に渡ったのは57歳の時。栄久さんは「日本で自分がやってきたことをやるわけで、不安はなかった。目の前の問題を処理していくことで、経営はだんだん大きくなっていった」と振り返る。
現在は、55歳の時に日本で出会ったパートナーの節子さんと暮らす。彼女も夫を亡くし、今は2人で支え合って暮らしている。晩酌は2人の毎日の楽しみだそうで、栄久さんは「夕方に仕事を終えてこうして飲めるのは、生きている喜びです」と充実した笑顔を見せる。
さらに、65歳の誕生日にはパースから900キロ離れたところに甲子園球場の2倍以上もの土地を購入し、今年から新たな農地作りを始めた。まだまだ挑戦の途中にいる栄久さん。「健康ですからね。挑戦するのに躊躇しないだけですよ」と気負いはない。だが、オーストラリア行きが決まったときのことを尋ねると、「亡き妻のことを思い出す」と涙がこみ上げる。「女房の命日に日本を出発したんです。とにかく2人で頑張ってきましたからね。強がりは言ってますけど、その時はやはり“失敗は許されない”という気持ちはありました」と明かす。
そんな栄久さんに娘たちから届けられたのは、栄久さんが大好きな日本酒。一升瓶には“孫が一人前になるまで現役でいてね”“いろいろな事に挑戦できるお父さんが大好き。お母さんの分まで長生きしてね”など、メッセージが書き込まれていた。「参ったな」と、嬉し涙の栄久さん。「孫が一人前になるまで頑張りたい」と力強く語るのだった。