今回のお届け先はタイ王国ナーン県。山岳地帯にあるフアイ・ユアック村で、“消えゆく森の民”と呼ばれる狩猟民族「ムラブリ」の調査・研究を行っている大学院生の二文字屋脩さん(27)と、神奈川県に住む父・修さん(56)、母・詩汝さん(56)をつなぐ。タイへ渡って1年。台湾出身の母は「タイへ行くことは事後報告で、費用もすべて自分で用意して行ってしまった。食べるものなど、どうやって生活をしているのか…」と心配している。
かつて“最後の狩猟民族”と呼ばれたムラブリは、現地語で“森の人”という意味。バナナの葉で家を造り、その葉が黄色く変色する頃には獲物を求めて別の場所に移り住んでいた。あとには黄色い家だけが残り、人の姿は見えないため、タイの人たちからは「黄色い葉のお化け」と恐れられてきたという。そんな森での狩猟生活は政府によって禁止され、十数年前からはここで定住生活を強いられ、今は農業を中心に生計を立てている。その人数も今では180人ほどに減ってしまい、消えゆく運命にあるという。
よそ者を受け入れることはほとんどないといわれるムラブリだが、彼らは脩さんを受け入れ、寝食を共にして暮らしている。脩さんは村の作業を手伝うだけでなく、体の不調を訴える村人を隣の大きな村の診療所にも連れて行く。「医者が“どうせムラブリだから”という態度を見せたりしないように、僕がついている」とその理由を語る。そんな風に彼らと生活を共にすることで、脩さんはムラブリ語を覚え、彼らの文化や風習を調査しているのだ。「この人たちの考えていること、知っている知識、見えている世界はどんなものなのか、すごく惹かれる」という脩さん。いずれ研究の成果を論文にまとめ、人類学の博士号取得を目指しているという。
そんなムラブリも今、近代化の波に飲み込まれつつあり、大きな問題を抱えているという。「森で生まれた子と、そうでない子では大きな差がある。一番新しい世代は森で生きていけるほどの知識はないし、祖父母世代や中年世代の考えとの間にギャップがある。この人たちが歩んできた道と、これから歩んでいく道を、専門的な視点から研究できれば…」と脩さんはいう。
脩さんが人類学という学問を選んだきっかけは、“日本人でも台湾人でもない、どっち付かずの不安感”を常に抱き続けてきた自身の生い立ちにあるという。「ムラブリ族にも故郷というものがない。でも彼らは積極的に生きている。彼らを知ることで、自分自身が幼少期から抱いてきた疑問に対する答えが見つかるのではないかという思いがあった」という。さらに「幼い頃に母が台湾人だという理由でいじめられ深く傷ついたとき、母に向かって泣きながら『アンタが日本人ならいじめられないですんだのに』と、一番言ってはいけないことを言ってしまった。あの一言をずっと申し訳なく思っている」と明かす。脩さんの胸には後悔の念が深く刻まれているのだ。
大学の時には台湾に留学し、母の母国語を修得した。「母は20数年間、中国語を一切使わず日本で僕と妹を育てた。だからなおさら中国語を勉強して、母親と中国語で会話をしたかった。それが僕なりの親孝行なのかなと思った」と脩さんは言う。そんな脩さんに届けられたのは、母の故郷の名物「台湾腸詰」。脩さんが大好きなお袋の味だ。中国語で書かれた手紙には、息子の健康を願う気持ちと、研究を応援する言葉が綴られていた。母の想いに涙する脩さんは「僕は楽しくやっています!」と母を安心させ、ムラブリたちと共に母の腸詰めを味わうのだった。