今回の配達先はイタリア。ローマ時代から大理石の一大産地として知られる石の街・ピエトラサンタで、彫刻職人として奮闘する石津尚人さん(30)と、茨城県に住む父・盛さん(54)をつなぐ。20歳の時、下半身が不自由で車椅子で生活する父をひとり日本に置いて海を渡った尚人さん。車椅子では会いに行くこともままならず、ただ息子の帰国を楽しみに暮す父は、「1年目に息子がハガキを送って来た時は、ミミズが這ったような字だった。“1日中石を彫って、手紙を書いたらこんな字になった”と書いてあった。字が書けなくなるほど一生懸命石を彫っていたんでしょうね。本当は日本で就職してほしかったが…ハガキを見て根負けしました」と振り返る。
良質な大理石が採れる採掘場の麓にあるピエトラサンタ。尚人さんはこの街の工房で彫刻職人として働いている。工房では世界各地から依頼を受け、中世に作られた著名な芸術作品の複製や室内装飾、アーティストがデザインする大理石作品などを、5人の職人たちが製作している。大理石は特殊な電動ノミで削っても、少しずつしか彫り進めない。尚人さんたち職人は複数の作品を同時に製作しなければならず、常に納期に追われる日々だという。
10代の頃に彫刻に興味を持ち、20歳の時にイタリアへ渡った尚人さんは、フィレンツェの美術学校に通ったあと、この街の職人に弟子入りして技術を身につけてきた。それ以来ただ実直に彫り続けてきたが、最近は自分の作品を作ってみたいという思いが芽生えてきたという。しかし、大理石を置くスペースや高い材料費などの問題もあって、現実的にはなかなか難しく、戸惑いを感じているという。
10年前に尚人さんが職人としての基礎を学んだ師匠のフランコさんは、久しぶりに会う彼を見て、そんな悩みを見抜く。「今の仕事に満足しているのか?自分の個性を生かすような作品を作りたいとは思わないのか?」。師匠に問われて思わず絶句した尚人さんは、「目の前の仕事に追われて、家に帰ると何も考えられなくなってしまう」と悩みを打ち明ける。自身も忙しい仕事の合間を縫ってオリジナル作品を製作している師匠は「尚人はただの作業員じゃない。尚人には多くの可能性があるんだ」と励ます。だが尚人さんは「自分は2つのことをやると、どちらもダメになるタイプ」といい、いまだ作品制作には踏み出せないでいる。
一方、ローマ時代から受け継がれてきた彫刻職人の世界にも、ここ数年、後継者不足の問題が起きている。この5~60年で街中にあった工房は激減し、職人の数も全盛期の2割ほどに減ってしまったという。尚人さんは「この仕事がなくならないためにも、もっと若い人にやって欲しいと思うが…なかなか難しい。いずれ自分がそういう手助けができれば…」。尚人さんは職人として、伝統の担い手であるという責任をひしひしと感じているのだ。
尚人さんが中学生の頃に、交通事故で車椅子生活になった父には、イタリアに来た当初、仕送りで助けてもらった時期もあったそうだが「恩返しはまだできていない」という。そんな父から届けられたのは、ウイスキーとグラス。尚人さんがたまに帰国するときに、一緒にお酒を飲むことを何よりも楽しみにしている父からの、30歳になった息子へのプレゼントだ。添えられた手紙には「俺もなんとか楽しくやっているので、お前も目標を持って仕事に打ち込んで欲しい」と励ましの言葉が綴られていた。そんな父の想いに、尚人さんは「もっと成長して、父を喜ばせてあげたい」と、しみじみと語るのだった。