今回の配達先はオーストリアの首都ウィーン。“コレペティトール”として多忙な日々をおくる中作恵梨菜さん(33)と、兵庫県に住む母・公恵さん(59)、弟・陽介さん(32)をつなぐ。実は父の英雄さんは、番組がウィーンで恵梨菜さんを取材したあとに他界。娘が海の向こうで活躍する姿を見るのを楽しみにしていたそうで、母は「夫は娘の生活、仕事、すべてにおいて本当に心配していました」と惜しむ。
恵梨菜さんが勤務するのは、1905年創立のウィーンで最古の歴史と権威を誇る私立音楽学校「プライナー音楽院」。コレペティトールとは、オペラなどで歌の伴奏をするピアノ奏者のことで、ステージで脚光を浴びることはないが、歌手や指揮者に発声方法や楽曲の意図、その歴史まで細かく指導をする重要な仕事だ。発音まで指導しなければならないため、恵梨菜さんは4カ国語をマスターしている。世界各国から集まる音楽留学生を指導する恵梨菜さんは「ピアニストより勉強することは多い。生徒の性格によって、褒めながら指導したりズバッと厳しいことを言ったり…カウンセラーのような仕事ですね。その子たちが褒められれば、私が褒められるようなもの。縁の下の力持ちです」と話す。
音楽好きの母の勧めで3才からピアノを始め、大学までピアノ一筋。だが実際は「やれと言われたのでやりましたけど、本当はピアノが大嫌いでした。大学を卒業したとき、一生ピアノは弾かないと決めました」と恵梨菜さん。そして卒業後は半年の予定でウィーンに語学留学することに。「帰国の2ヵ月前に国立大学のコレペティトールの先生と出会い、ちょっと勉強してみたら面白くて…」。そんな運命的な出会いから、この道へと進むことになった。
だが仕事が軌道に乗り始めた3年前、悪性リンパ腫を発症し、生死の境をさまよった。1年に及ぶ闘病の末に病を克服した恵梨菜さん。「それまでは仕事で天狗になっていた部分もあった。今は新しい命をもらって生かしてもらっている。その分、これから誰かに恩返ししないといけないと思っている」。そんな思いを抱きながら、学生たちに持てるすべてを注いで指導を行っているのだ。
半年の約束が、日本を離れてもう12年。恵梨菜さんは自身の病気と同じ時期に心筋梗塞で倒れた父の体を案じ、この時はまだ元気だった父について「私がそばにいてほしいことは重々分かっているし、私のわがままを聞いてもらって感謝している。本当に申し訳ないと思っている」と語っていたが…。
「今は新しくもらった命を生きている」。ウィーンで充実した日々を送る恵梨菜さんに母から届けられたのはネックレス。母が父から贈られて大切にしていたもので、恵梨菜さんが病に倒れたとき、母が彼女を励まそうと「あなたが病気に勝った時にあげるからね」と約束していたものだ。「ずっと欲しかったものです。やっともらえました」と嬉しそうに身につける恵梨菜さん。添えられていた父からの初めての手紙には、闘病生活をよく耐え抜いた娘を褒め、いつも前向きなその姿が父の誇りであると綴られ、さらに「謙虚な気持ちをもって感謝することを忘れずに生活して欲しい」とメッセージが。その言葉に恵梨菜さんは「初めて父の想いをちゃんと知ることが出来て良かった」と涙で言葉が詰まる。そんな姿を見た母も「夫亡き今、この手紙は彼女の一生の宝になると思います」と涙ぐむのだった。