今回の配達先はアルゼンチンの首都ブエノスアイレス。この地で生まれたアルゼンチンタンゴのバンドネオン奏者として活動する奥村友紀さん(34)と、大阪に住む父・雅英さん(63)、母・やし美さん(61)をつなぐ。父は海外の単身赴任生活が長かったため、親子は一緒に暮らしたことがほとんどないという。大学生の時、久しぶりに会った父が、友紀さんが当時熱中していた音楽を、“これは音楽とは違うのではないか”と批評したことから、友紀さんは猛反発し、父に“離縁状”を突き付けたという。以来疎遠になってしまった2人。父は「今でもあの一言はまずかったと反省している」と悔やんでいる。
友紀さんは現在、有名歌手のオーケストラや、タンゴショーの楽団などで演奏活動をしながら、ソリストを目指して奮闘中だ。バンドネオンはアコーディオンのように蛇腹で空気を送り込んで演奏するが、全部で71ものボタンがあり、ドレミの位置だけでも右手と左手がバラバラ、引くときと押すときでは出る音も違う。そのため演奏するのが非常に難しく、“悪魔が発明した楽器”とも呼ばれている。友紀さんが使っているバンドネオンは1920~30年代に作られた年代物。第2次世界大戦で多くのバンドネオン工房が焼けて、現在はほとんど作られておらず、楽器そのものが貴重品なのだという。
バンドネオンを始めたのは、大学生の時に本場のアルゼンチンタンゴを聴いたのがきっかけ。プロを目指して京都のタンゴ楽団に入団するも、あまりに難しく、いつまで経っても芽が出ず、辞めて就職することも考えたという。それを引き留めてくれたのはバンドネオンの師匠だった。「とにかくやめたらアカン!と本気で怒ってくれました。それでもう1回、一からやり直してみようと。先生のおかげでなんとか踏み留まれました」と、友紀さんは当時を思い出して涙ぐむ。
そして心機一転、本格的に修業をするためアルゼンチンに渡り、バンドネオン界の巨匠カルロス・パソ氏に弟子入り。3年間住み込みで腕を磨いた。パソ氏は「友紀にすべてを教え込んだ。もう何も教えることはない。これほど頑張ってきた人間はいないよ。友紀は私の小さな分身だ」と友紀さんの努力を称える。
日本を離れて4年。大学時代に音楽のことで父に反発はしたが、離縁状を突き付けたことはすっかり忘れていた友紀さん。「確かに当時はすごく腹が立ちましたが…そんなものを書いていたんですねぇ(笑)親不孝ですよね」と明るく笑うが、父はずっと心に引っかかっていたようで、友紀さんがそのことを気にしていないと知ると、ホッとしたようにそっと涙をぬぐう。
最近では、新しいタンゴを作ろうと若い音楽家が集まって結成された楽団でも活動している友紀さん。「いつかこのメンバーで日本に行きたい。頑張っているところを父に見てもらいたい」という。そんな父から届けられたのは、白紙の五線紙と写譜ペン。自分の新しい音楽をたくさん作り上げていってほしいという父の想いが込められていた。友紀さんは「曲を書いて頑張れということですね。うれしいですね」と笑顔がこぼれ、「これまで父と話す機会がなかなかなかったですが、今度日本に帰ったら、一緒にお酒を飲みたいですね」と、しみじみと語るのだった。