今回の配達先はスペイン・バルセロナ。画家として奮闘する松本佳久さん(38)と、大阪・高石市に住む母・賀子さん(65)、妹・知世さん(34)、甥のアダム君(5)をつなぐ。大学卒業後、大企業に就職したにもかかわらず半年で退職。その後、本当に自分がやりたいことを見つけ出すまで6年もの時間がかかった佳久さん。幼稚園の先生でしつけに厳しかった母とは衝突することも多かったそうで、母は「突然大学を辞めて外国に行くと言い出し、心の中では“何故今さら?”と思った」と当時を振り返る。
佳久さんが絵を描くのはホテルやレストランなどの壁。使う道具は絵具ではなく油性のペンだ。モチーフにするのはユーモラスな動物や植物など。それは幼い頃によく自然の豊かなところへ連れて行ってくれた母の影響が大きいという。デッサンや下描きは一切なく、その時のひらめきを大事にしながら、イマジネーションの赴くままにペンを走らせるのが彼のスタイル。佳久さんは「絵のルーツは母と描いた絵描き歌の“タコ入道”」という。「僕の絵にはストーリー性があるので、子供たちがそれを見つけて話題にしてくれたら。僕は本当に楽しんで描かせてもらっている。そういう気持ちが伝わればいい」と語る。
大企業を半年で辞めてしまったのは、サラリーマン生活に馴染めなかったからだという佳久さん。「名のある企業に行くことが、母が思う僕の幸せやったと思う。でもそれは僕の思う幸せではなかった」。その後6年間、アルバイトをしながら世界を放浪し、目的もなく過ごしたという。だが30歳を過ぎ、“一度しかない人生、好きなことを仕事にして生きよう”と決意して選んだのが、絵を描くことだった。
しかし、絵を描き始めたものの、最初の2年間は仕事がなく行き詰まり、一度絵から離れようとバルセロナを去ることに。そんな彼に畑の仕事をくれたのがジョセップさん(67)だった。彼の畑で働く生活が2年間続いた。初めて絵でお金をもらった仕事も、ジェセップさんの娘さんの結婚式の招待状に絵を描くことだったという。ゆったりと過ぎる時間の中で、周囲の人々に支えられ、佳久さんは再び絵を描く情熱を取り戻していった。
今はようやく絵だけで生計を立てられるようになり、心の底から絵を描くことを楽しんでいる佳久さん。「大好きな絵を描けることが幸せ。僕が幸せやったら母も幸せやろうと思っています」。そんな佳久さんに母から届けられたのは腰痛防止のサポーター。腰が悪い佳久さんが大好きな仕事をずっと続けられるようにと母が選んだものだ。そこには親子の思い出の“タコ入道”の刺繍がほどこされていた。佳久さんは「当時を思い出しますね。昔のように楽しく絵を描いてほしいという意味かな?それとも楽しく描いて私を楽しませて…ということかな。ならば遠慮なく人生を楽しませてもらいます!」と語るのだった。