今回の配達先はバングラディシュ。世界一辛いといわれる唐辛子の加工に人生を賭ける竹内僚さん(32)と、東京に住む父・俊夫さん(63)、母・邦子さん(63)をつなぐ。
18歳で日本を飛び出し、8年間バックパッカーとして世界を放浪。5年前、バングラディシュのノルシンディ県ポラシュで唐辛子の加工会社を立ち上げた。僚さんが扱うのは2007年、ギネスに世界一辛いと認定された唐辛子・ジョロキア。タバスコの200倍ともいわれる辛さで、触れるだけで皮膚が痛くなり、その汁は兵器にも使われるほど。そのため加工の工程は危険だらけ。僚さんと従業員たちはゴーグルをし、完全装備で作業に臨む。
実はこれまでこの国でジョロキアの加工に成功した人はいなかった。僚さんは5年前にここでジョロキアに出会い、日本で売れると確信。1年間、調査と研究を重ね、誰も成しえなかった加工に初めて成功したのだ。販売先は日本の大手企業で、カレーの原料やスパイスとして使われている。
加工は洗浄、スライス、乾燥、粉砕の工程を経るが、ジョロキアは水分が多いため、湿度の高いこの国で乾燥させるのは非情に困難なのだ。それが現地で誰も加工に成功しなかった理由だという。それを可能にした乾燥施設は、僚さんが独自で考案したものだという。さらにもっとも過酷なのが乾燥させた実の粉砕だ。どうしても粉が飛び散ってしまうため、従業員だけでなく近隣住民にまで危険を及ぼしかねないのだ。気温40度の中、新たに改良した粉砕器を使い、肌が露出しないよう完全装備で作業に挑む僚さんたち。危険と隣り合わせの作業だが、現地従業員たちも、これまで誰も成功しなかったことを今、自分たちが成し遂げているという面白さと誇りを感じているのだ。
僚さんは加工用のジョロキアを、船で12時間かけて川を南下した村で栽培している。実は4年前、巨大サイクロンの被害を受け、僚さんは工場と畑をすべて失った。現在の工場は企業や銀行、そして両親にも頭を下げ、多額の借金を背負って始めた2度目の挑戦なのだ。僚さんは「やめようとは思わなかった。意地ですね。災害が原因だったので、それに対する知識とやり方さえあれば克服できると思った」と当時の思いを振り返る。やりたいことが見つけられず、8年も世界を放浪して悩み続けた僚さん。ジョロキアは僚さんにとってやっと見つけた"本気になれるもの"なのだ。だからこそ一度ぐらいの失敗では諦めることができないという。
現在、借金は7割ほど返済し、経営は少しずつ上向きになってきているというが、決して生活に余裕があるわけではない。そんな僚さんの今の気がかりは、両親への借金がまだ残っていること。「お金を借りるのは抵抗がありましたが、両親は失敗した理由を何も聞きませんでした。見守ってくれているのかなと…」と語る僚さん。今まではどうしているのか分らず心配していたという母は「やりたいことが見つかって、親としては協力したかった。本人の表情を見て言葉を聞いて、見守りながら応援してあげたいという気持ちになりました」、父も「好きな仕事を見つけて一生懸命やっている。大変そうだけど生き生きしていて安心した」と安堵する。
そんな両親から届けられたのは、母の手料理の豚汁。僚さんの大好物だ。添えられた母の手紙には「仕事に一生懸命取り組む僚に逞しさを感じました。もう心配するのはやめようと思います」と綴られていた。僚さんは「まさか豚汁を食べられるとは…」と久々のおふくろの味を味わい、「心配してくれてたんですね」と母の気持ちを思うのだった…。