今回の配達先はアフリカ・モザンビーク共和国。この国で最も貧しいといわれる町リシンガで、女性や子供たちをたった1人で支援し続けるNPO団体代表の栗山さやかさん(32)と、静岡県に住む父・誠さん(60)、母・芳江さん(58)をつなぐ。母は「最初は2年の約束でしたが、この6年間一度も帰っていない。女1人でアフリカは心配。早く帰ってきてほしい」と願うが、父は「帰ってこいと言っても帰ってくる子じゃない」と半ばあきらめ顔だ。
内戦が続き、貧困に苦しむモザンビーク。中でもリシンガは首都から遠く、政府の目も行き届かない。失業率は75%を越え、強盗や殺人など犯罪が絶えず、HIVも蔓延している。そんな町でNPO団体「アシャンテママ」を設立したさやかさん。たった1人で政府と交渉し、2年がかりで立ち上げたのだ。劣悪な環境でHIVに感染した母と子供たちが暮らす母子家庭など、町でも特に貧しい女性や子供たち220名が所属し、読み書きなどの教育や食糧支援を行っている。土地や建物の費用はさやかさん自らの貯金を充て、活動費はインターネットで呼びかけ、日本からの寄付でまかなっている。
学校に入学する際には戸籍が必要だが、戸籍登録にお金がかかるため、戸籍のない子供も多い。そこでさやかさんは費用を捻出して国に戸籍を申請。85名の子供たちを公立の学校に通わせることができた。「これから企業が海外から来るようになったときに、仕事が手に入るように」と、さやかさんは語る。
日本にいたころは渋谷でショップ店員をしていたさやかさん。だが小学校からの親友が病のため、25歳で亡くなったことが彼女の人生を大きく変えることに。「彼女は死んで、私はまだ生きている。生きている時間をどうやって過ごすのか、すごく考えるようになった」とさやかさんはいう。生き方を見直したいと2年の約束で海外へ。アフリカ各地を旅し、自分より若い人たちが次々と死んでいく世界の現実を目の当たりにしたさやかさんは、中でももっとも劣悪な環境だったこの町に留まることを決意したのだ。
現在、生活費はすべて貯金を切り崩し、節約のためギリギリまで切り詰めた生活を送るさやかさん。ずっと心に残っている母の言葉がある。「“またアフリカに戻るのなら帰ってこなくていい。日本からもう出ないと決めたときに帰ってきて”と母に言われました。そう言われてどんどん時間が経って…」。さやかさんはなかなか決心することができないでいる。
子供たちの教育や食糧支援のほか、女性たちには共に畑を耕し、病気の予防法や農作物の売り方などお金の稼ぎ方も教えるさやかさん。休まず勉強に通ってきた女性には日用品を支給し、急を要する事態やビジネスの資金が必要な女性にはお金も貸す。「“キリがないよ”とよく言われますが、そんなことはないと思うんです。少しずつでも変わることは出来ると思います」。さやかさんの信念は堅い。
日本を離れて6年。女性や子供たちのためにひとり奮闘するさやかさんに、日本の母から届けられたのは、大豆と煮干しを揚げて甘辛く煮た母の味「揚げ煮」。一刻も早く帰国してそばで暮らして欲しいという母の切なる思いが込められていた。その懐かしい味に「両親に会いたい…。日本に帰ることを考える時期かもしれないですね。帰って親孝行がしたい。でもまだ“いつ”という踏ん切りがつかない…」と、さやかさんの心は揺れ動くのだった。