ボリビア多民族国の首都ラパスで民族楽器職人として奮闘する杉山貴志さん(51)と、静岡に住む弟たち、次男・強志さん(?)、三男・敦志さん(47)、四男・央志さん(41)をつなぐ。早くに両親を亡くして男手一つで弟たちの面倒を見、その後ボリビアに旅立った貴志さん。弟たちは「兄は10代の頃から南米のフォルクローレ(民族音楽)に興味を持ち、自分で楽器も作っていた」と振り返り、今はどんな暮らしをしているのかと心配している。
先住民が独自の音楽文化を築いてきた町・ラパスで貴志さんが作るのは、竹でできたアンデスの伝統的な管楽器サンポーニャ。わずかな竹の長さで音が変わるため、耳だけを頼りにミリ単位で竹を削り、音を探っていく。「アンデス高地の人々には独特の音感があって、西洋の音階に合わせて調律すると彼らには心地よくないんです。そこが面白い」と貴志さん。この国で楽器製作に携わり22年。閉鎖的な民族音楽の世界で孤軍奮闘し、今では高い評価を得るまでになった。
中学生の時、友人から借りたレコードを聴いてアンデスの音楽の虜になり、見よう見まねで楽器を作っていたという貴志さん。以来、より源流に近い音楽を追い求め、行き着いたのが「アウトクトナ」。古くから農村で祭りや儀式の時に演奏されてきた土着の音楽だった。「都会の娯楽の音楽と違い、ジャガイモの収穫の時の音楽とか、演奏する目的がしっかりしている。上手く演奏できるとか、歌の上手い下手は関係ない。そこが魅力」と貴志さんは語る。
12歳で母を、19歳で父を相次いで亡くし、10代にして3人の弟たちの親代わりとなって、面倒を見る生活となった貴志さん。「家の中は掃除する人もなく、めちゃくちゃでしたね。母が亡くなったとき、一番下の弟はまだ3歳でした。母を亡くしたショックより、弟が不憫で可哀相でずっと泣いていました」。そんな貴志さんの言葉に、四男・央志さんは「初めて聞きました。心配してくれてたんですね」と胸を熱くする。
親代わりの生活は央志さんが高校を卒業するまで10年間続いた。ようやく3人の弟たちが自立すると、貴志さんはそれまで我慢していた気持ちを抑えきれなくなった。「自分が本当に好きなものを一生に一度でいいから見てみようと。弟たちには10日で帰ると言ったんですが…いろんなことを勉強したかったのでボリビアに残ることにしました」。それから22年。ボリビアで出会って結婚したフランス人の妻シルビーさん(55)、娘の百合枝さん(14)という大切な家族もでき、今は充実した日々を送っている。
これまでいろいろなバンドで演奏家としても活動をしてきた貴志さん。町内の催しで演奏を頼まれ、貴志さんがリーダーを務めるバンドが10年ぶりに再結成されることになった。最近はボリビアでも本格的なアウトクトナを聞く機会が減っており、こうして普及のために演奏会に出掛けることも多いという。この日の演奏で手応えを感じた貴志さんは、再びこのバンドで活動していくことを決めた。
愛してやまないアンデスの音楽に浸って生きる日々だが、貴志さんは「弟たちの事は毎日思い出しますね。両親が早く亡くなったので兄弟の絆は強い。しょっちゅう連絡はしなくても、心はつながっていると思う」という。そんな貴志さんに弟たちから届けられたのはインスタントラーメン。兄弟4人で力を合わせて必死で生きていた頃によく食べた思い出の味だ。貴志さんはラーメンを味わいながら「懐かしいですね。これが一番安かったから、食べるものに困ったときは皆でこれを食べました。あの頃の弟たちの顔が目に浮かびます」と、しみじみ語るのだった。